2020.11.30(月)
香川県五色台 曇り☁後晴れ☀ 14/8℃
歩き人たかちです。
五色台こどもおもてなし処にて、最初で最後のへんろ小屋泊。"最強"と言われる通り、とても快適でした◎。今日は200m先の82番根香寺からスタート。五色台を存分に味わって80番へ。そして、香川県の大都市高松へ向かいます。
結願は2日後!
牛鬼のいるところ。82番「根香寺」
*へんろ小屋~根香寺:200m*
5時半起床。寒さも感じずに快適な眠りでした。東の方には雲があり、ご来光は見えませんでしたが、太陽が存在感を示すように赤く燃えていました。
またハーブティーをいただいて7時過ぎに出発。
山道を下って3分くらいで到着。
昔々、人間を食べる恐ろしい怪獣「牛鬼」がこの山に住んでいたそうです。ギョロ目。
本尊:千手観世音菩薩
宗派:天台宗
開基:弘法大師(創建810~824)
宇宙の万物を構成する要素「地・水・火・風・空」は「五大」と呼ばれます。仏教で「5」という数字は特別な意味を持ち、5の付く山号は多くあります。根香寺は、五色台の1つである青峰山中、標高365mに建っています。弘仁年間にこの地を訪れた弘法大師は、5つの峰に金剛界曼荼羅の五智如来を感得し、色別により「青峰・赤峰・黄峰・黒峰・白峰」と名付け、青峰には花蔵院を建立。その後、智証大師が千手院を創建し、両大師が建てた2院を総称して根香寺になったと伝わります。千手観音を刻んだ霊木の根株が香気を放っていたことから名が付いたといわれます。寺には、人を食べる牛鬼がこの地に住んでいたという伝説が残ります。弓名人の山田蔵人高清が退治を試みるも牛鬼は現れず、根香寺の本尊に願をかけると牛鬼が出現。退治した牛鬼の角は寺に奉納されました。また、牛鬼の絵は魔除けのお守りとして親しまれています。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
だーれもいないお寺最高。住職さんが掃き掃除をしていました。
秋の湿気った山の空気に、ほんのりお香の匂い。鳥の声を聴きながら至福の合掌。毎朝こんな空気を取り入れたら、どれほど細胞が喜ぶか。
紅葉もちょうどよく、とても綺麗でした。
樹齢約1600年という欅。枯れて幹が保存されています。
結局参拝中は誰も来なくて、根香寺を完全に独り占め。いいわー。
実に素敵な根香寺でした。朝一おすすめ。次へ。
五色台を越えて。80番「国分寺」
*根香寺~国分寺:6.9km*
山道と車道を戻り、再び十九丁へ。
そのまま車道を行くこともできますが、せっかくなので、江戸時代につくられたという道で山を歩きます。
分岐からの道は車道に出るまでほぼ平坦。とてつもなく歩きやすい道でした。朝一の山歩きが気持ちよい。
五色台は全体的に歩きやすいです。
車道に出るところに、昔は使われていたであろうトイレ。
車道を横切り再び山道へ。ここからどんどん下って行きます。下りはほぼ階段でした。80番から登るのは結構大変という印象なので、このルートで結果的に良かった。しかし、ハイカーの人たちが結構登っていました。
石鎚神社の分岐で山道からアスファルトになり、こどもたちの遊んだあとがいっぱい。
バイバイまたきてね
小さな国分寺のある公園。
公園を抜けて到着したものの、また入り口を間違えたらしく山門スルー。いや、逆から歩いているからか?帰りでいいか。
4つ目の国分寺。
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:行基(創建:741年)
国分寺は聖武天皇の勅願で、天平時代に一国一寺建立された官寺。国府の近くで便が良く、静かな場所という条件の下建てられましたが、讃岐の国分寺はまさに適地。お寺は1300年の時を越えて、創建時の姿を多数残しています。広い境内には大きな石が点在しますが、これは創建時の礎石であり、33個が伝わります。奈良唐招提寺の金堂に匹敵する規模だと考えられ、また、七重塔は京都の東寺の五重塔を超す大塔だったと推測されています。天正の兵火などで堂宇はほとんど焼失しますが、鎌倉中期に再建された本尊は現在まで伝わり国の重要文化財。梵鐘は天平の創建時のもので四国最古、同じく重要文化財です。鐘には逸話が残り、この地を治めていた生駒一正が高松城の鐘にしようとしましたが鐘は鳴らず、城下では悪疫が流行。眠りにつくと枕元に鐘が現れ「もとの国分寺へ帰りたい」と泣き、国分寺へ返されたと語り継がれています。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
境内がとても広い。
願掛けのものがたくさんありました。
大師堂は納経所の中にあります。大師堂の撮影は禁止でした。
お遍路やお寺のグッズがたくさん。
「Life is HENRO」。お遍路愛がすごい。
山門近くには「ミニ八十八ヶ所巡り」がありました。
「阿波の国 発心の道場」
目が輝いています。
「土佐の国 修行の道場」
半目で、高知の苦しい道のりに耐えている感じ。
「伊予の国 菩提の道場」
何かを悟った顔。修行の道場を終えたためか、どこか落ち着いた感じ。
「讃岐の国 涅槃の道場」
無を感じます。煩悩が消えた感じ。
自分が歩いてきた気持ちが重なって、大師の様子の変化まで感じ取ってしまいました。土佐の大師は、心なしかガタイがいい。讃岐の大師が一番スマートな気がします。ミニミニお遍路的なものは何箇所かありましたが、ここが一番面白かったです。
またどこかでうどんを食べて、83番へ向かいます。
最後に山門。
宮武うどんと83番「一宮寺」
*国分寺~宮武うどん~一宮寺:9km*
これから向かう83番一宮寺までに何箇所かうどんのお店があるようで、ピンと来たところに行くことにします。食べ損ねても、高松で食べればいいやという感じで心が軽い。
線路を渡り、やがて県道に合流。
右手に見える六ツ目山のところは地味な登り。
ピーク越えて下って行く。途中で40代くらいの男性とすれ違い挨拶をすると、合掌しながら「こんにちは~」と返されました。本当に年代に関係なく、リスペクト精神を感じる。
お遍路にはたくさんの歴史があるけれど、その歴史に負けない「人の文化」が詰まっている。昔は今以上に「人の文化」がないと歩き通すことはできなかったはず。その文化おかけで万人が歩いている道。
お遍路には野宿の文化があるから、余計に他の道との違いを感じます。野宿の理解があるからこそ、どんな人でも歩けるわけで。スペインを歩いてから「歩き中毒」になりましたが、お遍路の場合は「人中毒」になります。見ず知らずの人に、こんなに親切にされたのは本当に初めて。もっともっと人と関わりたい。他の道ではなく、お遍路を何回も何回も歩きに来る人の気持ちもわかります。
「感謝」を背負って歩き、胸の前で手を合わせる。単なる「道」としては語れない、語ってはいけない遍路道。四国の文化として、日本の文化として、ずっとずっと残って欲しい。
そんなことを考えていると「宮武うどん」を発見。お昼どきということもありますが、結構車が停まっています。暖簾がいい感じだったのでここに決めた。
冷たい、熱いとかいろいろな組み合わせがあるようで、説明を読んでから店内へ。
だしかけうどんの「ひやあつ」にしました。うどんが冷たく、出汁が熱いという組み合わせ。
せっかくなので、天ぷらも。かぼちゃと甲子豆。これで470円。天ぷらは100円と120円だから、うどんは250円。美味しい、安いは正義であり、これぞ本場。ちなみに甲子豆の天ぷらは塩加減が絶妙で、ものすごく美味しい一品でした。
出汁はほんのり甘めの優しいお味。麺はしっかりコシがあるけど硬すぎない、最初に食べた宮川製麺所に似ている感じ。でもどこかちょっと違う。やっぱりコシとつゆはそれぞれ。
お会計のとき「徳島から歩いてきたの?頑張ってね!」とおじちゃんに応援してもらいました。
とっても美味しかったです。宇多津のおか泉も美味しかったけど、少し観光地な雰囲気がありました。しかし、ここは国道沿い。高松からもまだまだ離れています。店内はほとんど地元かなというおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん。地元民が集まるお店な気がする。
*宮武うどん*
今日のうどんも大満足。お腹が膨れたところで一宮寺へ。ここから3kmくらい。
山門の足元がかわいい。こういうのは誰のセンスなのだろう。
本尊:聖観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:義淵僧正(創建:701~704)
讃岐平野の中でも最も大きい高松平野の田畑の中に建つ一宮寺。大宝年間に法相宗の祖である義淵僧正が開創したと伝わります。義淵は奈良仏教の礎を築いた高僧。和同年間に、諸国に一宮が建立されたとき、讃岐一宮として田村神社が建立され別当寺となりました。その後、行基が堂宇を修築し一宮寺と改めます。江戸時代には田村神社と分けられ、神社は寺に隣接しています。境内にある「地獄の釜」には小さな薬師如来が祀られ、釜が煮えたぎる音がするといわれています。悪いことをしたものが頭を入れると扉が閉まり抜けなくなるという言い伝え。昔、意地悪なおタネばあさんが試しに頭を入れたところ、石の扉が閉まり抜けなくなったといいます。今までの悪事を誤ると頭は抜け、それ以降は心を入れ替えて慕われたとのことです。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
こじんまりしたお寺で、今日の最後にふさわしい。
そして、本堂にはこの子たちがぞろぞろ。
77番道隆寺の手前でおじいちゃんに貰った参拝記念のお地蔵様。昨日のへんろ小屋にも6体くらい置かれていましたが、ここにはわらわらと集まっていました。
集合がかわいい。誰かが置きはじめて集まったのでしょう。
大師堂では住職さんと近所の人が「猫ちゃん元気ですか?」なんて世間話をしていて、ほんわかした和めるお寺でした。
さあ、大都市高松市街へ。
戻って来ました高松に
*一宮寺~We Base高松:6.9km*
高松もお遍路前に寄った場所。石鎚山の次の日に、珈琲豆を買うために一泊しました。今日はその時と同じゲストハウスに泊まります。
一宮寺からは高松市街へ向けて真っ直ぐ。歩いたのは遍路道ではなかった気がします。
高松市は大きな都市ですが、少し行けば畑も山も海もある。徳島、高知、愛媛もそうですが、東京がいかに広範囲で破壊されているかがわかります。
栗林公園の手前で車からおばちゃんに「どこから来たの~?」と話しかけられました。東京と答えると「あら~遠くから。ずっと一人で歩きよるん?」から始まって、「結婚してるの?ご主人何も言わなかった?東京のどこ?私東京大好きなのよ~。」とマシンガン質問。最終的に「こっち来てイントネーション違うでしょ?」とイントネーション指導を受ける。
道に堂々と車を停めて会話をしていたので、後ろからトラックが来たところで強制終了。「頑張ってね~」と去って行きました。会話の行方が気になった。お遍路さんは地元民じゃないとすぐわかるし、旅人との会話を楽しむところも四国の文化だなと思いました。
栗林公園を見てみたいな~と思いましたが入園料がかかるので、外から公園を感じるだけ。
栗林公園のところには香川県のアンテナショップ「栗林庵」がありました。ここで美味しそうなものを物色。
たくさん、山程ありました。行動食、ご褒美おやつにいくつかピックアップ。地元のものを探すのは旅の醍醐味。
*栗林庵*
商店街を抜けてゲストハウスに向かいました。
今日のお宿は「We Base 高松」。
最新のゲストハウスという感じのホテル&ホステル。現在は全国に5ヶ所。前回泊まって良かったのでまた予約しました。
女性専用フロアも大きいし、お手洗いもシャワールームも綺麗。ドライヤーはダイソンの最新型。初めて見て、何だこれと思ってしまいました。
嬉しいのは、バスタオルとフェイスタオルがあること。
お遍路沿いにある一般家庭のゲストハウスを除き、ドミトリーやカプセル式の宿は大体タオル類も有料。いつも手拭いなので、たまにタオルがあるととても嬉しい。
女性フロア専用の飲食スペース、キッチン、洗濯乾燥機(有料)があります。いちいち下の階に行かなくても、フロアで全て済ませられるのは便利です。
受付のフロアにあるカフェラウンジは、カフェ以外でも自由に使えます。充電もできるし、快適なソファもあるし、雑誌もあるし。
そして、極めつけは・・・
お茶漬けの夜食サービス!!
夜8時半から無料でお茶漬けをいただくことができます。これが美味しいのです。夜食なので、お腹いっぱいになるような量ではないですが、このお茶漬けで夜ごはん代を節約。
夜食サービスは新鮮。
*We Base 高松*
お遍路の前日に行ったのは「プシプシーナ珈琲」という、港の方にある珈琲屋さん。そこもとてもかわいいお店だったのですが、今回は近くの「珈琲 白川」へ行ってみました。
小さいお店で、一応カウンター席もありますが、テイクアウトをしてカフェラウンジでいただきました。
深入り専門のお店で、一杯一杯ネルドリップで丁寧に淹れてくれます。
店主の方はサーフィンをしていそうな雰囲気のとてもダンディな方でした。2019年にオープンしたようです。
口当たりがまろやかな、コクのあるとても美味しい深煎り珈琲。ネルドリップなので、コーヒーオイルがより抽出されている…はず!ネルドリップはお店でたまに飲む程度ですが、紙のフィルターとは違う口当たりでした。うん、まろやか。
*珈琲 白川*
先ほどのアンテナショップで買った、ポン菓子のチョコレートがけと一緒に。これめちゃくちゃ美味しいです。
野宿のMさんはお遍路が終わるのが嫌で牛歩作戦に出るとのこと。善通寺の次の日は金比羅山に登ったと。
実は私自身も善通寺に行ったら金比羅山と思っていたのですが、完全に忘れていました。そのために善通寺でストップしようと出発前に考えていたのに…。Mさんに言われ思い出しました。Yさんも時間調整に金比羅山へ行ったと。香川県に再訪する理由ができました。また来ます。
ついに、高松へ到着しました。88番大窪寺まであとちょっと。早すぎるよ、香川県。明日は約一ヵ月ぶりにYさんと再会します。積もる話を聞いて、結願前夜にしんみり物思いにふける予定。
★本日の歩行距離:24km*
★累計:1111.7km
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