2020.11.29(日)
香川県善通寺市 晴れ☀ 14/6℃
歩き人たかちです。
今日は、79番郷照寺を打ち終えたあと、81番白峯寺へ向かいます。80番、81番、82番は微妙な位置関係にあり、どこに宿泊するかで回る順番は人それぞれ。
私の場合、今日は最初で最後のへんろ小屋泊。最強のへんろ小屋といわれる「五色台こどもおもてなし処」に泊まるため、81番→82番→80番の順番で計画しました。
80番近くの宿に泊まり、80→82→81あるいは80→81→82と打って電車で戻る人。79番まで打って78番近くの善根宿うたんぐらに泊まり、翌日81あるいは80からスタートする人。歩いた分は電車を駆使して回る人も多かったです。
1日1うどん。今日もどこかでうどん。
金箔の大黒天様。76番「金倉寺」
*風のくぐる~金倉寺:1.8km*
6時に出発するはずが、風のくぐるの居心地が良すぎて7時5分出発。朝からネスレのカフェオレでふ~っとやってしまいました。
どんなにいい宿でも朝早く出ないといけないのが残念なところ。寝られればいい、野宿でいいという思考になる人が多いのもわかる。
明後日には12月。さすがに朝もひんやり。いや、まだその程度かとも思うけど。
野焼きの煙で少しぼやーっとした田園風景の中を歩きます。
先を歩くYさんから「いつ結願予定ですか?」とメールがきました。3,4日程離れていましたが、病院や高松でゆっくりしていたYさんは12月1日、私は12月2日と1日違いになっていました。「せっかくだから一緒に結願しましょう。」ということで、Yさんが2日に調整してくれることに。
スペインのときも、初日にあった人、半ばに会った人、最後の方で会った人の4人でゴール。サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に「せーの!」で最後の一歩を踏み出したことを思い出します。今回は一人でしんみりかな~と思っていたので嬉しいお誘い。
朝一のお寺に到着。
本尊:薬師如来
宗派:天台寺門宗
開基:和気道善(創建:774年)
善通寺市にある5札所の5番目。774年の弘法大師誕生の年、和気道善が如意輪観音像を刻んで堂宇を建立し、「自在王堂」と名付けたと伝わります。その後、和気道善の子の宅成によって道善寺と改められました。宅成は天台寺宗の祖である知証大師である。5歳の時に訶利帝母が現れ、仏道修行を守護すると告げたとされます。訶利帝母が初めて登場するのがこの金倉寺。858年に知証大師が唐から帰朝し、薬師如来を本尊としました。928年に醍醐天皇の勅により金倉寺と改名。この頃に隆盛しましたが度重なる兵火で廃れ、江戸初期に再興されました。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
境内はとても広々しています。
本堂には数珠が提げてあり、回すことができます。
中にはみかんが数個入っていました。本堂に置いてあるところがいいですね。
金箔をペタペタされた大黒天様。おみくじ付きの金箔300円。それを貼り付けるとのこと。目とかなんかギラギラして光線とか出てきそう。
金倉寺には立派な休憩所がありました。水道やコンロまでありますが、コンロはちょっと使えない、しばらく使われていない感じに黒ずんでいました。
駐車場の方には「お砂踏み」がありました。
道隆寺参拝記念。77番「道隆寺」
*77番道隆寺まで:3.9km*
次の道隆寺まで、ほぼほぼ真っ直ぐ歩きます。
もう少しで到着というところで、民家の中から「おへんろさーん!ちょっといいですかー?」と呼び止められました。
中からおじいちゃんが出てきて「道隆寺の参拝記念にお接待でお渡しさせていただいているんです。うちのせがれが作ったんですけど。荷物になってしまいますけど良かったら。」と言って、かわいいお地蔵様をくださいました。中には「77番道隆寺参拝記念」と書かれた紙が入っています。
常に外を気にされているのでしょうか。ミニミニお地蔵様、ありがたくいただきました。
そしてこのお地蔵様、この先あらゆるところにお供えされているのを見ることになります…
こんな感じで。
お寺にいたり、へんろ小屋にいたり、結願の宿「八十窪」にもいたし、高野山への町石道にまで。可愛いので私は持ち帰りました。
到着。
本尊:薬師如来
宗派:真言宗醍醐派
開基:和気道善(712年)
道隆寺が建つ多度津町は昔から交通の要所。金刀毘羅宮と多度津港を有し、四国で最初に鉄道が敷かれました。715年、この地の領主であった和気道隆によって道隆寺は開かれたと伝わりますが、逸話が残ります。夜に妖しい光を放つ桑の巨木があり、道隆が矢を放ちました。すると、女の悲鳴が上がり、乳母が倒れて死んでいました。道隆がその桑の巨木で小さな薬師如来を刻み供養したところ、乳母は生き返ったといいます。その後、807年に弘法大師が薬師如来像を彫像し、道隆の薬師如来像を胎内に納めました。大師から授戒を受けた朝祐は第2世住職となり、父の名にちなんで「道隆寺」と名付けました。寺は「目なおし薬師」として、眼病平癒祈願に多くの人が訪れます。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
金倉寺よりはこじんまりしたお寺。
西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所の百済観音や各地の観音像255体が祀られています。
弘法大師と衛門三郎の出会いのシーンの像がありました。でも、衛門三郎が子どもに見えます。杖杉庵の像の方がリアルで優しさがあってよかった。
お寺のカウントダウンが始まり、一つひとつのお寺の滞在時間が明らかに長くなっています。名残惜しさが出てきてる。
しかし、進まねば…出発。
宇多津のうどん。「おか泉」
*道隆寺~おか泉:6.8km*
道隆寺のあとは丸亀市。
「うどんは丸亀の先の宇多津が美味しい」と聞いたので、宇多津を狙います。
へんろ小屋発見。おしゃれ。
この中に善根宿の貼り紙がありました。
郷照寺の近くには有名な善根宿「うたんぐら」があります。1泊1000円の人気善根宿。善通寺でストップしたので泊まれませんでしたが、とても環境の良い宿だと泊まった方は口を揃えます。HPもあるので、予約もしやすいです。
この貼り紙の番号はうたんぐらとは違うので、また違う宿らしい。サラリーマンをやりながら善根宿をやっている人もいて、お遍路さんに「何かしてあげたい」という気持ちを強く感じます。四国ってすごいなーほんと。
*善根宿うたんぐら*
丸亀市は賑わっています。遠くに丸亀城を見ながら宇多津へ。
Googleでは開店時間が10時45分となっていて、時間的に寄れないかもと思っていた「おか泉」。手前のお寺での滞在が長かったので丁度開店時間の10分前くらいに到着。覗いてみるとすでに営業していました。かなり並ぶお店と聞きましたが、早めに開店したのかな。
入って少しすると外にはぞろぞろ並び始めました。絶妙なタイミングで到着。
ここでは「かけおろし」を注文。昨日は温かいうどんだったので今日は冷たいのを。一口食べると、昨日の宮川製麺所よりもかなりコシの強い麺でした。ここまでコシって違うのか。しっかり噛んで食べるコシ具合。
美味しかったけど、宮川製麺所が忘れられない。つゆも冷たいかけうどんなので濃いめ。個人的には、温かいほんのり甘めの出汁が好みだなと思いました。
お腹を満たして郷照寺へ。
*おか泉*
キンキラ金!78番「郷照寺」
*おか泉~郷照寺:500m*
すぐに到着。
本尊:阿弥陀如来
宗派:時宗
開基:行基(725年)
丸亀平野に突き出た孤峰北嶺に位置し、高台のため多津の街並みや瀬戸内大橋が望めます。725年、行基によって開かれ、阿弥陀如来像を刻んで本尊とし「仏光山道場寺」と称したと伝わります。その後、815年に弘法大師が巡錫し、自身の像を彫像し厄除け祈願をしました。それは今も「厄除うたづ大師」として篤く信仰されています。時宗の開祖である一遍上人も1288年に踊り念仏の道場を開きました。天正の兵火で伽藍は焼失しましたが、江戸時代に再興。そのとき真言宗とともに時宗も奉持し、寺名を郷照寺と改められました。真言宗と時宗の二つの法門を伝える寺は88ヶ所で唯一です。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
なんだかリッチな雰囲気。ちょっといい旅館みたい。
天井には、絵ではなく花や草の立体レリーフ。これは、すごく華やかで綺麗でした。レリーフは平成の大修理の際に設置されたものとのことで、結構新しい。
大師堂の天井にもレリーフがありました。
そして、大師堂の横には「万射観音洞」と書かれた怪しい地下への階段。「お観音さま ご自由におまいり下さい」とありました。
下ってみると・・・
!?
★キンキラキーン✴︎☆
小さな黄金の観音様がズラーっと所狭しに並んでいました。薄暗い地下室みたいな部屋の中で、キラキラ光る観音様。
郷照寺は結構混んでいましたが、ここは音が聞こえなくてとても静か。そのまま奥へ進んでみると大きな観音様。
リボンがついていたり、前掛けをしていたり、いろんなミニミニ観音様がたくさん。目が圧倒されました。
郷照寺はちょっと高いところにあって眺めがよく、清々しいお寺。青空が似合います。
門前には「地蔵もち」。なんか美味しそうなお餅というか、おはぎと赤飯があります。外で食べている人たちがいて私もつられて中へ。
おはぎを一つ買いました。これが、柔らかくてすっごく美味しい!赤飯も買えばよかったな~と食べ歩きをしながら先へ。
*高橋地蔵餅本舗*
白峰宮が目立つ。79番「天皇寺」
*79番天皇寺まで5.9km*
この辺りは「古街」と呼ばれる旧市街地エリア。古い素敵な家屋が並んでいます。
そして、さりげなく、とてもさりげなく置かれた道標。
88番大窪寺まで88km!!
ここが手前88km地点なので仕方ありませんが、とてもさりげないので、見逃している人も結構いました。
「え!そんなのあったの!?」と。
でも、このさりげなさがいいですね。ちゃんと気が付いたときの嬉しさ。
橋を渡り、古街を抜けて進むと商店街に入りました。ここもシャッターが閉まっているお店が多く、愛媛県で通った商店街と同じ雰囲気。時計は止まっているけど音楽は流れている。
商店街の近くには大きなイオン。イオンには勝てないか…ちょっと切なくなります。
商店街って面白い場所だと思うのですが・・・
途中でミスチルの「終わりなき旅」が流れました。
うわー、ここで?すっごく切なくなる。涙出る…。ミスチル好きとして歌いながら歩きます。スペインのときのように、お遍路が終わったらまた始まっちゃうんだろうな。旅は終わりません。
衣食住は背負える。人間はなぜ歩くことをどんどんやめてしまうのか。「時間」と「利便性」のせいか。日本は小さい国だけど、歩くと広い。時間はかかるけど、好きなように立ち止まれるし、好きなように寄り道できるし、一番素敵な移動手段。
商店街を抜け真っ直ぐ歩きます。
「へんろ小屋坂出江尻」。素敵な絵のある小屋。
線路を渡ればもうすぐ。雲が良い感じ。
清水屋のところてんは名物だったそうですが、閉業したようです。「定休日」の看板が置かれたままですが。食べてみたかったなー。
お、ここかな~と入ったところは「白峰宮」でした。その隣の敷地というか、くっついているというか、一緒なのかこれ。とりあえず、一度鳥居を出てみる。
山門はなく、大きな鳥居の左右に小さな鳥居が建つ「三輪鳥居」。とても珍しいものとのこと。
こんなもの発見。
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:弘法大師(創建:729~749)
天平年間に行基によって開かれました。弘仁年間に弘法大師が巡錫したとき、古くから知られる八十場の霊泉のほとりに光放つ霊木を見つけます。そのとき、一人の天童が現れ、水を汲み大師に給仕したといいます。天童が金山を鎮守する金山権現で、永くこの山の仏法を守護するように持っていた宝珠を大師に預けました。十一面観音は水を司る仏様で、八十場とはたくさんの水が落ちるところ。金山は四国唯一のアルミニウムの鉱床があることでも知られますが、頂上付近は「カンカン石」と呼ばれる固い讃岐石が覆っています。資源が豊かで、讃岐の国府も置かれました。保元の乱に敗れた崇徳上皇が讃岐に配流され、この地で崩御。上皇の霊を鎮めるため、二条天皇が崇徳天皇社を建立、天皇寺と呼ばれるようになりました。しかし、明治の神仏分離令で白峰宮となります。1887年に筆頭末寺の高照院が当地に移り金華山高照院天皇寺とし、今日に至ります。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
入りなおしてみると、なんかメルヘンな門をくぐって、結局先ほどの場所にでました。
白峰宮が目立ちすぎて本堂に気が付きませんでした。白峰宮では崇徳上皇を祀っています。
白峰宮の一角にちょこんとある感じ。どちらかというと、白峰宮への参拝者が多い印象。
賑わいの81番「白峯寺」
*81番白峯寺まで:6.5km*
さて、この時点で13時。ここから白峯寺まで6.5km。さらにそこから山道5kmほどでへんろ小屋。7時に出発したことをちょっと後悔しています。これから山に登るというにまだ11km以上あるのか。
15時くらいにへんろ小屋に着いて82番も打っておこうと思っていましたが、それはもう中止。日が暮れて山歩きはしたくないので、ちょっと急ぎます。
うわー、でも田園の良い風景!香川のフラットな景色につい足が止まる。急ごうと思うときに限って良い道なんだよなー。「まあまあ、そう急ぐなよ」と言われてるようです。
途中のへんろ石に白峯寺9km…ビックリしましたが、多分それは車の距離。車はあのへんろ石見ないのになぜ。
途中のファミリーマートに寄って食料を積みます。重い…。
あの山に向かって、だんだん登りになります。
荷物が重くなって背中はズッシリですが、風がひんやりと気持ちが良い。
車に抜かされながらえっちらおっちら登って行くと歩き用の参道に到着。ここから1kmです。
しかし…1kmの階段でございます。
車道を登り始めたところにあった案内板に階段のような絵が描かれていたので嫌な予感はしていました。標高は稼げるけどここがなかなか辛かった。食料買いすぎた。
登り始めに東屋。
長いよー!!
このリズミカルな、単調に同じ高さで足を上げるのが階段の辛いところ。
音を上げながら、汗を拭いながら、一歩一歩…やっと着いた。
白峯寺はまた大きなお寺です。
本尊:千手観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:弘法大師(創建:815年)
瀬戸内を臨む場所にある「五色台」。北から北峰、黒峰、青峰、白峰、赤峰の5峰が連なり、南の白峰山中にお寺は建ちます。815年に白峰山に登った大師が嶺に如意宝珠を埋め、閼伽井を掘ったと伝わります。その後、智証大師が瀬戸内に流れ着いた木の光に導かれ山に入ると白髪の老翁が現れ、木は補陀落山から流れたものだと告げました。その木で千手観音菩薩を刻み堂宇を建立。崇徳上皇がこの地で没し、白峰の稚児ヶ嶽で荼毘に付されました。都では異変が続き、上皇の祟りだと人々は恐れます。上皇と親しかった西行が2年後に訪ね、お経を読んでいると雷動し上皇が出現。西行は歌で怨霊をなぐさめたと語られています。成仏を願うため法華堂が建てられ、参道横の木立には上皇を供養した2基の十三重石塔も残っています。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
日曜日なので、境内には人がいっぱい。
猫バス・・・
本堂に向かってせっせと階段を登ります。
写真を撮ろうにも自分が邪魔になる。全体的にささっと参拝。
紅葉も良い感じ。
干支ごとの何か。
納経所は然程混んでいませんでした。「80番は明日行くので、次のページにお願いします。」と渡すと「80番が明日ってことは歩きですか?宿はお決まりですか?」と心配されました。すでに15時。「暗くなるのが早いので、お気をつけてください。」と優しく送り出されました。
最強のへんろ小屋「五色台こどもおもてなし処」
*白峯寺~へんろ小屋:4.6km*
白峯寺を出て「根香寺道」の看板を見ていると、近くにいた男性に「今からこの道行くんですか?お気をつけてください。」と。15時だもんね。
4.6kmで標高差200m。五色台は観光地みたいな場所なのでハイカーも多く、道は非常によく整備されています。全体的には緩やかで、最後にぐっと登ります。
こんな時間に歩いているは自分一人かと思いましたが、3人程のハイカーの人に会いました。駐車場も限られているので、みなさんどんなルートで歩くのか気になる。
緩やかに登ったあとはほぼ平坦という道。
そのあとに下りになりました。結構下ったあとに登り返します。
森全体はとても綺麗です。
しばらく歩くと「十九丁」に着きました。ここは、80番への分岐点になっている場所。明日、82番のあとにまたここに戻ってきて80番へ向かいます。
昔はここから80番への道はなかったようです。80番から81番への道が急な登りであるため、江戸時代につくられたとか。3札所の分岐点。
野外ステージのようになっています。
ここから標高差60mを一気に登ると車道に出ます。
車道に出て、へんろ小屋までは1kmちょっと。途中にはお手洗いがありました。
途中で歩き遍路用の山道に入り下って行くと小屋がありました。なんとか16時10分着。暗くなる前に到着。
とても立派なへんろ小屋。テーブルにはハーブティーとお菓子ボックス。お菓子は空っぽ。ハーブティーは、小屋のすぐ裏?かどこかでハーブを育てているようで、手作り。飲んでみるとちょっと温かかったので、今朝入れたもののようです。
この「五色台こどもおもてなし処」のへんろ小屋は"最強のへんろ小屋"と言われています。公に宿泊が許可されており、雨風凌げて、電気があり、水洗トイレがあり、充電もどうぞという小屋。
中に入ると、天井や壁には納め札がたくさん貼られていました。
屋根が特徴的な形をしていますが、2階というかロフトがあります。人がぴったり横になれるほどのスペース。
子どもたちの"手作り"がたくさん詰まった温かい小屋。折り紙や、メッセージの入った絆創膏、お灸まで置かれていました。
小屋のすぐ裏手に水道とトイレ。
トイレは若竹学園の園生が掃除をしてくれているそうです。「行き届かない所がございましたら、申し訳ありません。」とドアに貼られていました。涙が出ますね。こうやって四国のこどもは温かい心を育んでいくのだと、じーんとしました。
休日はこどもたちが小屋に来て、お接待のボランティアをやっているそうです。コロナなので中止中かもしませんが。
今日は誰も来なくて一人。
小屋には「女性専用遍路小屋完成記念ハガキ」というものがありました。女性専用なんてあるんだと思いましたが、この小屋のすぐ近くにあった白い建物がそれだったようです。
この白い建物なんだろうと出発してしまいましたが、畳敷きで何人か泊まれるようです。
また、この近くには「喝破道場」という宿泊施設があります。自立支援を行っている道場のようで、へんろ宿でもあるとか。1泊2食¥5,000で、お勤めとかも体験できるそうです。ここの住職さんによって、このへんろ小屋が作られたとのこと。
*喝破道場*
最後は少し急ぎ気味になってしまいましたが、美味しいうどんに、美しい五色台に、温かいへんろ小屋。素晴らしい一日でした。山の中で一人、静かな眠りにつきました。
★本日の歩行距離:30km
★累計:1087.7km
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
にほんブログ村
よろしければ、応援よろしくお願い致します。
コメント