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日々感謝。1200kmのへんろ道。【30日目:45番岩屋寺~46番浄瑠璃寺】

お 遍 路

2020.11.18(水)
愛媛県久万高原町 晴れ☀ 21/8℃

歩き人たかちです。

昨日、鴇田峠を越えて久万高原へ入りました。今日は、宿から45番岩屋寺を22km往復、そして三坂峠を下り46番浄瑠璃寺を目指す36km。昨日と同じく長丁場で早朝出発。真っ暗な山道で迷いたくないので、県道12号の「峠御堂トンネル」を通って行きます。このトンネルは歩道が狭く危険なトンネルとして有名ですが、打ち戻るときはほとんどの人が通ります。今回は行きも帰りも通るので危険度倍増。

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真っ暗な県道。八丁坂へ。

*やすらぎの宿でんこ~八丁坂登山口:8.5km*

4:38起床。昨日道の駅で買ったごはんをなんとか胃に詰めました。道後温泉の赤玉子プリンがあり買ってみましたが、なめらかですごく美味しくて。食欲がないときはゼリーやプリンが食べやすい。

必要なものだけまとめ、玄関近くに荷物をデポして5時半に出発。

外に出ると濃霧。霧がすごかった。しかし、寒いと構えていましたが全然寒くなく、化繊の中綿ジャケットを羽織ったもののすぐに脱ぐ結果に。霧のせいか。三原村よりも400m弱高いですが、三原村の方が寒かったです。

久万高原町は意外に街灯が明るいく、昨日の道を辿り大寶寺への登り坂を。さすがにこの辺りは暗くなって、ヘッドランプを点けました。

途中にはショートカットの山道がありますが、案の定入口すらわからない。そのまま県道を上がっていきます。街灯は完全になくなり真っ暗。

時折車が通りましたが、運転手は幽霊でも見たような気分になるのではと思いながら。四国は熊が全くいないわけではないですが、数は非常に少なく絶滅危機レベル。奥山の方に生息しているので、とりあえず安心。これが東北となれば怖くて歩けない。

「峠御堂トンネル」に到着。ここには反射タスキが置かれたBOXがあります。歩道が狭く危険なので反射タスキをつけて通過し、反対側のBOXに返却。BOXは右車線、左車線両方にあります。

まだ6時なので交通量も多くありません。歩道の幅は用水路の蓋程度。大きいトラックが来たら壁にへばりつくレベル。

カーブがあり曲がってくる車が見えないので、カーブ付近でのすれ違いはかなりスリリングだと思います。トンネルは600mほど。一応早歩きで通過します。

朝に通るのはほとんどトラックか軽トラでした。多くが岩屋寺方面からくる車だったので、左車線を歩き幸運にも危険な目には遭いませんでした。

しかし、トンネルを抜けたときに材木をたくさん積んだ大きなトラックが入って行きました。交通量が多く、あまり避けられない状況でこんなトラックとすれ違うのは生きた心地がしないだろうな…

トンネルを抜けると徐々に空が明るくなっていました。ここからは一気に下って行きます。

束の間の休憩。早朝はいいな。もののけ姫を聴きたくなる。

宿や民家のある場所まで下りました。

いやしの宿八丁坂では、宿泊者ではなくても荷物を預かってもらえます。専用のロッカーがあるとか。6時半頃に前を通りましたが、朝から送迎車に荷物を積んだりなんだり忙しそうでした。部屋の明かりも結構点いていて、宿泊者も多かった様子。

お昼はランチ営業もやっています。

*いやしの宿八丁坂*

いやしの宿 | 八丁坂
八丁坂は、野菜の供給農園「八丁農園」を保有し、宿のスタッフが自ら栽培を行っています。食事のほとんどの野菜・あしらい・保存食材をこの農園で作っており、新鮮で安心のお食事を提供しています。

そこから1kmくらい歩くと山道への案内。国道でも行けますが、八丁坂を登って向かう場合はこちら。

ちょっとだけアップダウンがありましたが、基本的には緩やかに進みます。早朝の裏山散歩のような雰囲気でとても気持ち良かったです。

しばらく歩くと畑のある場所にでました。誰か人が住んでいるのか…?

そこからすぐに広い林道にでました。

「何かをしよう」

そのすぐ先に登山口。そのまま林道をいくと「国民宿舎古岩屋荘」に着きます。

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秋の小径。45番「岩屋寺」

*八丁坂登山口~岩屋寺:2.6km*

弘法大師は、岩屋寺は四国霊場中で最も修行に適した場所であるから、参道は俗界を通らずに急傾斜の八丁坂を修行道としました。「南無大師遍照金剛」と唱えながら登ったということ。

尾根まで一気に登って行きます。道は奇麗に整備され、荒れた箇所はありませんでした。

焼坂峠に比べれば歩きやすい。きっと歩き終わるまで焼坂峠以上の場所は出てこない。松尾峠の急傾斜地点といい勝負だと思いますが、何より空荷ということが身体的にも精神的にも楽でした。

尾根までの距離は700m。荷物を持って20分前後だと思います。

尾根に近づくほど緩やかになっていきました。

尾根に到着。ベンチがあってちょこっと休憩。ここには以前茶屋があったそうです。

ここから岩屋寺まで1.9km。緩やかなアップダウンを繰り返します。そして、この尾根が最高に良かったです。

とても歩きやすく、落ち葉がふかふかで低山ハイク気分。自分は山好きですが、Mさんも「八丁坂良かったですね~」と仰っていたので、やはり良い山道なのだと思います。広葉樹、針葉樹と植生も豊か。

立ち止まって深呼吸。これを繰り返しながら山の奥へ奥へと入って行き、昨日の大寶寺以上に山の霊気を感じます。朝一で誰も歩いていないというのもいい。

これでもかというほど綺麗な空気で肺を膨らませ、久万高原の森林浴を満喫。まもなくどんどん下る道になり、そろそろか?というところで看板がでました。岩屋寺まで400m。

立派な杉が多くなり、お寺の雰囲気。

下っていくと真っ赤な不動明王像。

その下に「せりわり行場」がありました。ここは法華仙人が弘法大師に通力を見せた跡だと伝えられています。岩の裂け目に鎖と梯子があり、そこをよじ登っていくと「白山大権現」が祀られている場所があります。

岩の前の門には鍵がかかっていますが、納経所にて納経代の300円を修めると56枚の納め札と門の鍵を渡されます。納め札は行場までつづく三十六童子に1枚1枚納めながらいくとか。

間から覗いてみると、ロープが見えました。

童子のある場所には旗がありました。その脇を下って行きますが、納め札が地面に散乱。箱が置いてあるところもあれば、ただ置くだけのところもあるようで、ゴミが散乱しているみたいであまり心地いいものではありませんでした。

下り切ると山門に到着。これは山道から来た場合の山門で、国道の方にはまた別に山門があります。

【 45番 岩屋寺 】

本尊:不動明王
宗派
:真言宗豊山派
開基
:弘法大師(創建815年)

最も内陸に建つ岩屋寺だが山号は「海岸山」。由来は、弘法大師が「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」と呼んだことであるが、かつては海岸。そこが隆起して岩壁をつくりだしました。ここはかつて仙人の暮らす場所であったといわれます。弘法大師が修行場を探していた時、明王鈴の音に導かれて山に入り法華仙人に出会います。木造の不動明王を安置し、石造は岩窟に秘仏として納め、山全体を本尊にしたとされています。その後は山岳霊場として発展し、一遍上人もここで修行をしました。

参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ

見事な岩壁。あまり知識を入れていませんでしたが、ここまで見応えのあるお寺だとは思いませんでした。

本堂

岩に見惚れて大師堂を撮り忘れました。

本堂横の岩の窪みには「法華仙人堂跡」があります。梯子を登って窪みへ。ここは自由に登降できるので行ってみました。

足を掛ける部分が太めなので、手足を滑らせないように注意。鉄の梯子ならしっかり掴めますが、そういう感じではない。

ちょっと高いところからお寺全体を見るとなんだか印象が変わります。ここで修行をしていたそうです。仙人て、どこまでいけば仙人というのか。

3人のお遍路さんを連れたガイドさんが来たので降ります。3名以上は禁止とのことです。降りるとガイドさんに「天国は見えましたか?」と聞かれました。何も知らずに登っていたので「見えませんでした。」と答えましたが、そういう場所だったの?

納経所も岩にへばりつくように建っています。落石があったらと考えると恐ろしい。

ここまで岩が主張しているとは。もっとゆっくり見たかった。大寶寺手前の宿に泊まる人は、往復で終わらせることも多いと聞きました。一番良いのは久万高原を無理なく越えて国民宿舎あたりに泊まり、ゆっくり岩屋寺を参拝して三坂峠を下るプラン。そうすれば、結構長くお寺でもゆっくりできるし、せりわり行場も楽しめると思います。

せりわり行場は登り返さないといけないので行きませんでしたが、時間があれば行きたかった。

岩屋寺には本堂手前に「穴禅定」という洞窟があります。蝋燭と灯篭の灯る暗い洞窟で、僧が修行した穴がいくつも空いているとのこと。そんな洞窟があったとはつゆ知らず。岩すごいな~と思いながら納経所へ行き、岩すごいな〜と階段を下って完全にスルーしていました。

後でお会いしたMさんに「洞窟行きましたか?」と聞かれ、そんなものがあったのかと。

帰りは国道で戻ります。駐車場の方へ歩いていくと苔むしたたくさんのお地蔵様。

岩屋寺は車で来た場合も、本堂までは結構な距離を登っていきます。舗装はされていますが、88ヶ所の中でここが一番駐車場から遠いのではないでしょうか。「車遍路の人たちも歩き遍路の気分が少しだけ味わえていいのではないか」と言っている方もいましたが、それくらいありました。歩いて20分くらいかかるようです。

国道側も雰囲気があって、すごくいい。

駐車場手前にはお店が並んでいました。これから準備という雰囲気。宿へ戻ります。

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さようなら、久万高原

*岩屋寺~三坂峠:17km*

県道を淡々と。

県道周辺もお寺に負けない岩壁に囲まれています。

国民宿舎古岩屋荘に到着。ここは日帰り温泉もあります。岩風呂と天然温泉を楽しめます。

*国民宿舎古岩屋荘*

国民宿舎古岩屋荘|愛媛県久万高原町の宿泊はぜひ当館へ。
眼前に広がる奇岩群。2000万年前の地層が残る国定指定名勝「古岩屋」の四季折々の自然を愛でながら、宿泊・お食事・温泉をどうぞお楽しみください。…

すぐそばの休憩所では最終バスが終わった後の野宿が許可されています。ただし、ここはかなり寒くなるとのこと。温泉もトイレもあるし環境は充分。宿泊施設がそばにある野宿場所はなんとなく安心感があります。

岩屋寺のときはここで野宿かなと思っていましたが、結局ここでストップする行程にはなりませんでした。久万高原のキャンペーンにより、結果宿で良かったのですが。

県道の方もちょっとアップダウンというか、登って下ります。

下りに差し掛かったところの休憩所前を通ると「あー!」と聞こえ、振り向くとMさんが休憩中でした。昨日は宿でゆっくり休んで、八丁坂から岩屋寺へ行ったとのこと。5時半に出たと言ったら「真っ暗じゃないですか!」と。真っ暗でした。しかし、そんなMさんも前回は夜通し歩いて岩屋寺の記憶がないと。

今日は八坂寺の通夜堂まで行くというMさん。八坂寺の通夜堂はやはり非常に良いようで。私もそこまで頑張るべきだったか。いつもいい寝床だと思う場所を昼間に通り過ぎたり、ちょっと辿り着かなかったり。

またどこかで!とお別れして先に進みます。

いやしの宿八丁坂の近くには「和佐路」という宿もあります。コロナでも営業されていました。こちらは平家で、のんびりできそうな雰囲気。

*民宿 和佐路*

民宿 和佐路 | まんてんスポット|

久万高原にはキャンプ場もあります。「久万高原ふるさと旅行村キャンプ場」という場所。いやしの宿八丁坂よりもちょっと奥になるのでここも諦めましたが、テント1張600円。水道・シャワー代330円。星が綺麗に見えそうなキャンプ場です。

*久万高原ふるさと旅行村*

https://www.natureresort.jp/kumakougen

朝一で通過した道を戻り、トンネルへの坂を上がります。

10時を過ぎているのでさすがに交通量は増えていて、覚悟して早歩きで。

タスキのBOXを開けると入っていませんでした。やばーい…と、反対車線のBOXを開けるとたっぷりかかっていました。助かった。一応ヘッドランプを点けながら歩きます。

左車線のカーブが緩い方を歩きます。幸い通行中に大きなトラックは来なかったので、帰りも死にそうな思いはせずに済みました。

帰りはショートカットの道を歩こうと県道から逸れますが、ここで道を間違えました。

へんろ案内に従って入ったつもりでしたが…道は登り坂。ちょっと登って下るのかと思いましたが、そんな気配はないし、そんなわけないなと。県道は下っているし、そもそもへんろ案内がない。

これ違うわ…と戻ります。おそらく林業の作業道。

戻ってよく見ると、遍路道はまっすぐ下って行く道。右手にへんろ石がありましたが、足元が草に覆われていたので左の歩きやすそうな道に入ってしまいました。全然見ていなかった。

もう県道でいいやとやめて、来た道を戻ります。

今日は朝ごはんも早く、山歩きもしたのでお腹が空いた。昨日道の駅でおにぎりを買っていましたが、足りないので追加で食料を購入してから宿へ。

「焼きおにぎり」このシンプルさがたまらないし、すごく美味しい。

荷物をピックアップすると、横には野宿スタイルのザックがデポされていました。自分と同じような人が泊まっていたようす。

気合を入れなおしてザックを背負い、三坂峠へ向かいます。

国道沿いには公園のような場所。左奥には東屋がありました。

三坂峠までは国道をだらだらと登ります。これが暑い…。久万高原町の標高は500m程。三坂峠が710m。6kmくらいかけて200mの標高差を登ります。

久万高原はすごく涼しいのだろうと思っていましたが、日中は普通に暑かったです。

途中には「お接待サロン カヨちゃんの家」がありました。一般家庭のお接待所のようですが、コロナでお休み中。

じりじりと標高を上げて「レストパーク明神」に着きました。広めの東屋と水道、トイレ。

もう少し登ると「皿ヶ嶺登山口休憩所」もあります。

トイレの横には休憩スペースがありました。レストパーク明神もここも野宿環境は揃っています。どちらも周辺に民家はなく、おそらく夜は人気が全くないと思うので、それはそれでちょっと怖そう。こちらの方が壁もあるし、コンパクトで良さそうでさた。

暑さに負けてここでジュースを投入。

ここまでくれば三坂峠ももうすぐ。もうひと頑張り。

そのうち車道は平坦になり、これ以上登らないだろうというところでへんろ石を発見。ここから松山市内へ標高差600mを一気に下って行きます。Yさんが「三坂峠は結構長いよ。」と事前に情報をくれました。

古い遍路石には手の絵が刻まれています。

気持ちはすでに道後温泉。さようなら、久万高原。

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公園のような。46番「浄瑠璃寺」

*三坂峠~浄瑠璃寺:8.5km*

明治27年に、国道33号ができるまではこの峠が松山と久万を結ぶ主要道でした。

三坂峠は整備は行き届き、歩きやすかったです。特別急な箇所はないですが、秋は落ち葉で岩や石が隠されてしまうので要注意。微妙に飛び出している岩が割と多かったです。

でも落ち葉の良い香り。秋だけのお楽しみ。

途中で松山市内が見えました。大きな街。道後平野がのっぺりしています。

この三坂峠にも応援メッセージが木に吊るしてありました。

もみじの絨毯。

説明版の「浄瑠璃寺」の箇所に「?」が書かれ、消されていました。順打ちと逆打ちを合わせた説明だとすると間違いではないということか。

気持ちのいい下山道。Yさんは長くて嫌になってしまったとのことですが、山道は2kmくらい。そのあとはアスファルトになります。

アスファルトの方が急。

すぐに東屋のある休憩所がありました。その少し手前からラジオの音が聞こえると思ったら、誰か休憩しているようす。白衣が干され、ザックが置いてありましたが人がいない…と思ったら奥の方に男性お遍路さん。東屋の近くに川が流れていて、水の補給とか顔を洗ったりしているようす。でもなんか見たことのある背格好…。もしかして、へんろ宿ととろっとのご主人か?

顔はよく見えませんでしたが、身長や体形、髪形がよく似ている。「逆打ちで歩くからどこかですれ違うかもね。」と言われましたが、まさに今なのか?声をかけようか迷いましたが、遠かったのでやめました。違ったらなんか悪いし。

Mさんがこのあと14時半くらいにここを通ったようですが、そのときはテントが張られていたと。え?もうテント?と思って、声をかけてみるとちょっと顔を赤くした男性が顔を出したと言っていました。「今日はもう、ここで寝はるんですか?」と聞くと「おう、ここ最高!」と陽気な返事が返ってきたと。

ご主人のイメージではありませんが、お酒を飲んでいたのかな。「14時くらいでもテントを張れる場所もあるし、適度に足を伸ばさないとだめだよ。」とあのとき言われたので、やっぱりご主人だったのか。

そのまま下り続けると「坂本屋」がありました。ここはかつてのへんろ宿。お手洗いをお借りできます。ここが今もやっていたら、今日の行程にちょうどいい場所だったけどなあ。

ここから先は「窪野町」。坂の集落です。

どんどん下って行くと「網掛石」のある、あみかけ大使に到着。

弘法大師が網に大きな石を入れて担ぎ棒で担いでいたところ、棒が折れて石が飛んでいったと。その石が落ちた場所が「大窪町」。一つは川に落ちて、もう一つはこの石だと言われているそうで、表面に網目模様がついているから「網掛け石」

石っていうか、完全に岩。亀の甲羅みたいな不思議な模様。本当に網がめり込んでいたような感じ。さすがにこんな岩を2つも担げるはずもありませんが、ここでも弘法大師のスーパーマン的な伝説が残り、それくらいすごい人だったのでしょう。

ようやく坂を下り切って、田園風景が広がりました。

「丹波の里接待所」というものがありました。やっているともやっていないとも、何も書いてありません。多分やっていない。

立派な日本家屋もたくさんあります。山の家は大きい。

それに比べて、海沿いの家はコンパクト。高知県には、かわいい平屋がたくさんありました。農家か漁師かとか、生活、歴史、地形、気象条件などの違いなのでしょう。地域や地形によるそんな違いも面白かったです。

野焼きの匂いが漂っていて、なんだか懐かしい匂い。おばあちゃんの家の匂い。

民家が多くなってきたところで本日のお宿「長珍屋」に到着。すぐ目の前が浄瑠璃寺なのでそのまま参拝をします。

山門前のもみじを見ていたら、参拝後のご夫婦が「中も綺麗ですよ~」と。ここから先は札所間もまた密になります。ここまで来たことを思い返しながら階段を登ります。

【 46番 浄瑠璃寺 】

本尊:薬師如来
宗派
:真言宗豊山派
開基
:行基(創建708年)

松山市8ヶ寺の最初の札所。この辺りは、お遍路の元祖と言われる「衛門三郎」ゆかりの地。布教のために訪れた行基がこの地に堂宇を建立し、薬師如来を本尊として刻みました。薬師如来は東方にあるという浄瑠璃世界の教主です。本堂と大師堂には実際に抱くことのできる「抱っこ大師」が安置されています。境内には仏足石や仏手石、説法石、、音楽財福にご利益のある一願弁天、樹齢1000年の「イブキビャクシン」など見どころが多くあります。

参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ

教えていただいた通り、中のもみじも綺麗でした。とても静かなお寺。境内の周辺に木が生えているお寺が多いですが、ここはなんだか公園みたい。木の下にはベンチが置かれ、空間がとてもいい。

本堂

やたら賑やか。

本堂と大師堂それぞれにある「抱っこ大師」を持ち上げてみました。ちょっとムスッとした感じの顔をしています。

大師堂

大きなお寺ではないですが、見どころがたくさんあります。

説法石。

奥には立派な「イブキビャクシン」、その奥には広場みたいな場所がありました。

浄瑠璃寺は雰囲気がすごく良くて、宿は目の前ですが木の下のベンチでしばらく休憩しました。上を向いてもみじを堪能。

納経所へ行くと「今日はまだ16時だからあと2つくらい回れますね。」と言われました。「歩きなので今日はもう終わりです。」と返すと「あら、歩き?女性一人ですごいね。」と。

通しの歩き遍路は、まだまだ男性の方が圧倒的に多いようです。

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お遍路さんの宿。長珍屋

長珍屋の中にはお遍路グッズがたくさん。お遍路さんの宿といっても過言ではない。ちょっとお遍路してみたいという人が、松山市にある8ヶ所だけ回るということもあるそうです。札所も遠くなく、お店も宿も充実しているし、観光しながら無理なく歩けるそうで。

売店の近くには冷蔵庫や電子レンジもありました。コインランドリーもズラリとたくさん。団体が泊まることも多いのでしょう。

部屋は旧館と新館がありますが、新館でした。

お風呂もジェットバスがあり、最高でした。

夕食は18時半でお願いしました。たっぷり。

泊まっていたのは全員お遍路さん。ソーシャルディスタンスが保たれながらの食事。

通しの人、区切りの人それぞれ。今回4回目だという女性は仙台の人でしたが、四国への移住を考えていると仰っていました。みんな四国病のようです。空き家を探しながら歩いているとか。

食べていると男性が一人「こんなにかかると思わなかったよ~」と入ってきました。八丁坂に泊まっていたようですが、出発をもっと早くすべきだったと後悔していました。三坂峠で日が暮れて真っ暗。やっとの思いで長珍屋に辿り着いたと。

しかし、さらにそのあと19時頃にもう一人男性お遍路さんが到着。この方も真っ暗な三坂峠を下山してきたと。すでに日の入りは17:05まで早まっています。

食事の後に水をガブガブ飲んでいたら「ポット、部屋に持って行っていいわよ。若い子はいっぱい飲みたいよね~。」と言われ、遠慮なくお借りしました。冷たい水をポットごといただけるなんてありがたい。

久々に宿のご飯を食べて満腹。道後温泉までは20kmもありません。2日間、ハードな行程にしてしまったので、明日はゆっくり出発します。

岩屋寺はまたいつか再訪して、せりわり行場を登ってみたいです。駆け抜けてしまった2日間でしたが、ひわだ峠も良かったし、大寶寺も岩屋寺も見応え抜群、山の霊気をたんまりいただきました。

*長珍屋*

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★本日の歩行距離:36.6km

★累計:802.8km

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