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「日々感謝」1200kmのへんろ道#6【18番-20番】

お 遍 路

2020.10.25(日)
天気:晴れ ☀︎
気温:阿南市20/9℃

歩き人たかちです。

お遍路6日目。昨日は、5つのお寺を打ちながら賑わう徳島市内へ入りました。ヤンキーなお兄さんからチキンとミルクティーのお接待を受け、エネルギーが漲った1日。

今日は、28km歩いてから20番「鶴林寺」の山越え。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」の2番目の難所です。焼山寺に比べると距離は短いですが、標高差500m近く登ります。他のお遍路さんや地元の方々との交流も増え、楽しいぞ、楽しいぞと歩いた1日。そして、ようやくの初野宿。

20番鶴林寺~21番太龍寺の間に宿はありません。宿泊まり場合は鶴林寺の手前で宿泊し、鶴林寺と太龍寺を一気に越えていきます。野宿の場合は、鶴林寺の下山地点にある「大井小学校跡」にテントを張ることが可能です。

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国道55号。18番「恩山寺」

大鶴旅館-18番恩山寺:11km

毎日死んだように寝ています。1分、1秒しか寝ていないのでは?というほど一瞬で朝を迎えるロングトレイルの日々。テントだと途中で目が覚めるので寝ている感覚がありますが、布団は気持ち良すぎて起きるのが辛い。

6時過ぎに女将さんにご挨拶。「これ良かったら持って行って」と、缶コーヒーと5個入りのミルクパンをいただきました。朝日が昇った6時半頃出発。

イラスト付へんろ石。お遍路くん可愛すぎないか?恩山寺1.5kmほど手前までの約10km、国道55号をひたすら歩きます。後に、高知県で果てしなく歩くことになる国道です。

今日も太陽に向かって。朝だろうがなんだろうが、太陽が出るとすぐ暑くなります。少しでも建物の日陰に・・・と左車線を歩いていましたが、途中の休憩所は右車線にありました。

中にはお坊さん2人が休憩中(18番でお会いしたら、お坊さんと尼さんのご夫婦でした)。反対車線からお互い会釈をして先へ進むも、歩くのが早くてすぐに抜かされました。

景色が変わらない国道をひたすら歩き続け、ようやく55号から離れた。こういう道が一番、知らない土地を歩いている感があります。

電柱には"恩山寺1.4km"のお遍路シール。しかし、そのすぐ前に"恩山寺700m"の看板・・・どっちやねん。へんろ道では、地図、シール、へんろ石の距離が結構バラバラ。どれが一番正しいかは場所によるので、「シールは信用ならん」とか「へんろ石だめじゃん」とか一概に言えません。結局Google先生が一番正しい(山道以外)。

 

「源義経上陸の地」のようです。

山に近づいたところで到着。

バス停「恩山寺前」から登ります。標高差50mほどですが、ちょっと登るだけで汗が・・・

[  18番 恩山寺  ]

本尊:薬師如来
宗派:高野山真言宗
開基:行基(創建:天平年間)

恩山寺は当時、女人禁制の道場でした。修行中に弘法大師の母「玉依御前」が故郷の讃岐より訪ねてきたとき、女人禁制を解くべく山門近くの滝に打たれ秘法を修めました。母を迎えることができた大師は木を植えますが、それが山門近くの「びらんの木」といわれています。母は出家し、その髪を奉納して「母養山恩山寺」と改名大師の母に対する思いが詰まった親孝行のお寺です。

参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ

本堂

日曜日なので、平日に比べると人が多め。休憩所にいたお坊さんと尼さんもお参り中でした。般若心教が本格的でとってもかっこいい。

山のお寺には階段が付きもの。

大師堂

 

大師堂の右手にある建物が、弘法大師の母である玉依御前を祀る小堂です。大師堂に並んで建ててあり、母子の仲睦まじい感じがあります。大きくなった大師が母を守っているようで温かい。

木陰が涼しく、すっきりした空気のお寺。旅館でいただいたミルクパンで休憩。

恩山寺の摺袈裟

恩山寺には「摺袈裟」という、ここにしかない最強のお守りがあるとお聞きしました。通常は1年ごとにお守りを交換しますが、摺袈裟は一生使えるとのこと。この摺袈裟は日本全国でも恩山寺だけで手に入れることができる貴重なものだそうです。

お守りはもともと買わない派。1年ごとに交換するのも面倒ですが、一生交換しなくていいなら私みたいな人にはいいかもしれません。買わなかったけど。

ここから車道を下り、ちょっとだけ山道の続きを歩いて立江寺へ向かいます。

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寺市の賑わい。19番「立江寺」

19番立江寺まで4km

100円で8個くらい入ってる。食べたい・・・が、重い。その場で半分くらい食べちゃえばよかった。

牛さんがいる。

舗装道を真っ直ぐかと思いきや、90度に曲がる。

「新しい自分に出合うため」の言葉に目を引かれて気が付きませんでしたが、ザックの部分に「この中にパンフレット入っています」と書いてあります。何のパンフレットだったのか。

涼しーーー竹林です。竹林は街道や古道を歩いている感じが強い。空気もですが、竹の色は爽やかな気分になります。

緩やかに登りますが、すぐ平坦になり下っていきます。

 

竹林を抜けると長閑な田舎道。

小径に入る。

へんろ小屋「京塚庵」がありました。ここは、屋根が"合掌デザイン"で有名なへんろ小屋。

大きな大きな合掌。宿泊禁止の記載はありませんでしたが、お手洗いはありません。

一人用のテントもちょっと厳しいかなーという広さ。

朱色がシャキッとしている「しらさぎ橋」。しらさぎ橋は「悪人が渡ろうとすると、しらさぎが舞い降りてきて足が動かなくなる」という言い伝えがあります。ここを渡ると立江寺に到着です。

初めからしらさぎがいる場合はどうなるのか、なんて捻くれたことを考えながら渡る。

 

[  19番 立江寺  ]

本尊:延命地蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:行基(創建747年)

四国4県には一つずつ「関所寺」があります。そこで巡拝者は弘法大師の審判を受け、邪心のある者や罪人は先に進めません。立江寺は四国の総関所。実際、江戸時代にここで咎を受けたお京という女がいました。夫を殺して男と逃げてきて、立江寺に参った際にお京の髪が逆立ち、寺の鐘の尾に巻き付いたと伝えられています。懺悔したところ髪の毛は剥がれ、命は助かりました。髪が絡みついた鐘の緒は「黒髪堂」に安置され、見ることができます。

参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ

何やらお寺が賑わっていると思ったら寺市が開催されていました。

 

山門を入るなり甘酒、珈琲、豚まん、パン、盆栽・・・たくさんのお店が並んでいました。奥の建物には人がわんさか出たり入ったり。

コロナに関係なく、昨今はお寺に訪れる人自体少なくなり、活気をを取り戻すためにハンドメイド作家や職人さんを呼んで寺市を開催しているとのこと。お寺は賑わい、作家さんたちは出店の場が増えてwin-winですね。

本堂

 

大師堂

人が多くて休む雰囲気ではなかったので、お参りをしてすぐに退散。豚まんちょっと気になったけど。近所のお寺で催しがあるのは楽しそうでいいな。

しかし、後で知る「黒髪堂」を見てみたかったーと後悔しました。(上記お寺紹介参照)

お寺の外にある酒井軒本舗の「立江餅」も有名とのこと。お餅食べたい気もするー・・・と横目で見ながら先の鶴林寺へ。

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ほぼ階段。20番「鶴林寺」

20番鶴林寺まで13.1km

しらさぎ橋を再び渡り、県道28号を歩いていく。国道は広くて大体歩道あり。県道は細めで歩道はあまりない。交通量が多い県道は怖いこともありますが、県道の方が静かで、長閑で好きだ。

 

「こはくの天使」という自家焙煎珈琲のお店を発見。"ここにしかない"という個人の珈琲屋さん、特に、駅前とか繁華街とかではなく、ここ。長閑なここにポツンとあるのがいい!

しかし、今日はまだ13km残っている。最後に鶴林寺の山越えだし、手前の道の駅で休憩予定なので渋々スルー。珈琲休憩すると動きたくなくなくし。

HPを見ると、ハンバーガーとかビーフシチューもあってすごく美味しそうでした。


こはくの天使

https://higashinecoffee.site/


車道に迫る巨木たち。いや、車道が後か。

地元のおじいちゃんに「はーい、頑張ってね〜」と手を振られ、ランニング中のおじさんに「おう!今日は鶴林寺まで行くの?泊まるとこあるの?・・・あ〜テントかあ〜頑張って!」と応援される。鶴林寺を登り出すとその先は宿がないので、「これから鶴林寺」というとみなさん心配してくれます。

法泉寺の善根宿「寿康康寿庵」

法泉寺のバス停に善根宿「寿康康寿庵(じゅこうこうじゅあん)」の大きな案内版があり、電話番号が書かれていました。法泉寺の住職さんが管理されている、お遍路さんには有名な善根宿。水、トイレ、電気の揃った快適空間とのこと。

↓詳しくはこちら↓

二番目の遍路ころがしに挑む前の水・トイレ・電気・コンロ・寝具完備の善根宿【寿康康寿庵(法泉寺)】
阿波の関所である19番札所「立江寺」を無事通過できると、次の20番札所「鶴林寺」は二番目の難所「遍路ころがし」です。その手前のたいへんありがたい善根宿「寿康康寿庵(じゅこうこうじゅあん)」でひと休みしていきましょう。

どこにあるんだろうと思いましたが、バス停手前のプレハブ小屋のような建物だったようで。私は完全にスルーしていました。コロナでこのとき宿泊できたのかは不明ですが、法泉寺に問い合わせればいいと思います。

 

緩やかに登り、ピークを越えて下っていく。県道をいろいろと変えながら。

 

しばらく勝浦川を見ながら黙々と歩き、勝浦町に入りました。お店もちらちら出てきます。

青果店。気軽に買える感じではないやつ。

「阿波地美獲あおき」という、ジビエのお食事処を発見。外観からして美味しそう。季節のジビエ料理をいただけて、カフェもあり気軽に利用できます。鹿肉カレーライスに鹿肉丼に・・・。大学生の頃初めて鹿肉を食べましたが、クセがなく美味しかったなあ。

そして、ここにはお遍路さんの休憩所もあります。建物の右側に「やすんでいかんで」という暖簾があります。中のベンチで休めるそうです。このとき、そんなことはつゆ知らず先へ進みましたが。

先に道の駅があるためいろいろスルーしましたが、ここでお昼でも良かったかな。気になった場所は覗くだけでもいいから寄ってみた方がいいですね。きっと何かある。


阿波地美獲あおき

阿波地美獲 あわジビエ あおき
夏期の鮎料理、冬期の猪ぼたん鍋をはじめ、鹿肉、鴨肉をつかった阿波のジビエ料理を大自然の中でお楽しみいただけます。


道の駅のまで1kmを切ったところで、後ろから何やら叫び声が聞こえました。誰か叫んでるなーと思い歩いていると、さらに声が大きくなってはっきり聞こえる。

「待って~!!」

ん?待って?と振り返ると、両手にみかんを持った女性が走ってきました。「これ、良かったら!ちょっとすっぱいかもしれないけど。」と、みかんを5個いただきました。「道の駅あとちょっとだから、頑張って!」と言ってまた走り去っていきました。

わざわざ走って持ってきてくれて・・・。暑くてジュースでも買おうと思っていたので、みかんが本当に嬉しかったです。元気がでました。

歩き出すと、今度は前から走ってきた車が目の前で停まりました。中から白衣を着た男性のお遍路さんが出てきて「立江寺はこちらであっていますか?」と。逆打ちの車お遍路さんでした。

「梨をね、さっき道の駅で買ったんですけど、良かったら持って行きませんか?高知の梨なんだけど」と、"にいたか"という大きな梨をいただきました。「これで小ぶりなんだって」と男性も驚き気味。いや、普通にでかい。

後にスーパーで見ましたが、この梨かなり大きいです。しかも、1個500~600円程していました。小ぶりでも400〜500円。東京のスーパーでよく見る豊水とはまた全然違う。

「鶴林寺、結構登ったから気を付けてね!」とお別れ。ありがたい重みを感じながら、道の駅までラストスパート。

道の駅「ひなの里かつうら」に到着。

暑くて背中がびっしょり・・・ひとまず靴を脱いで足を開放しながら、先ほどのみかんと昨日のおにぎりを頬張って腹ごしらえ。外のベンチには野宿スタイルのザックが2つあり、もしや今日の野宿は仲間がいるのでは?とちょっと期待。

道の駅は大きくて、お弁当や野菜もたくさん売られていました。明日の朝ごはんまでの食料と行動食を調達します。中へ入ろうとすると、2人組の女性に話しかけれました。

「あらー、歩きでお遍路?通しで歩いてるの?どこから来たの?」

「はい、通しです。東京です。」
「えー!東京!そんな遠くから~ちょっとお接待させてよ~!」

お2人は徳島の方で、「中で何か買わせて!」ということで"ゆこうどりんく"をいただきました。お弁当でも何でもいいからと言われましたが、さすがに悪いなあと思ってこちらを。喉乾いていたし。「ゆこう」とか「ゆっこ」とか地元の方は言っていましたが、すだちのような柑橘系の果物でした。

短時間の間にたくさんの人にお会いしたな~と感謝でいっぱい。たっぷり休憩して、行きますか~とザックを整理していると「こんにちは~!」とまたまた。

30代くらいのカップルの方で、先ほどの野宿ザックの持ち主でした。歩き、しかも野宿スタイルの私を見かけて声をかけてくださいました。

お2人は逆打ちのお遍路さんなんとすでに3ヶ月も四国にいると!途中、男性が足の怪我をして病院に通っていたそうですが、へんろ道から外れてキャンプをしたり、観光したりしていたら3ヶ月経っちゃったと。「俺らより遅いお遍路さん絶対いないよね!」と笑い飛ばしている姿がとっても魅力的。"バックパッカー"という言葉がすごくお似合いな感じ。

少しでも気になった場所、もの、ことには触れる。本来の旅の仕方を存分に味わっていて、すごく清々しい笑顔。話していて、とても気持ちのいい方々でした。(後の宿でお聞きしましたが、男性の方は自転車で世界一周をしたとか。通りで!)

自分と同じく、退職して自由な時間を楽しんでいるとのこと。歳が近く、同じ境遇のお遍路さんで親近感があって楽しい時間でした。私からは「焼山寺」の情報を、お2人からは野宿についての情報交換。リアルタイムで歩いている方の情報が一番役立ちます。旅してるな~とここでようやく実感した気がします。

逆打ちだともうすぐ終わりです。どうか無事に結願できますようにと、祈る気持ちで鶴林寺へ向かいました。

 

はじめは民家の間を1km程登り、だんだん山の中へ。登るにつれて傾斜は急になり、山道に入る前の方が辛かったです。

 

途中には茅葺屋根の気持ちよさげなへんろ小屋。簡易トイレもありました。道の駅の近くて野宿に良さそう(宿泊可かは未確認)。

お助けの杖。

アスファルトが続きます。

ようやく山道に入りましたが、舗装道が続きますね。鶴林寺まで1.6kmになり、道の駅から半分歩きましたがこの感じか続くのか?

階段がすぐに始まりましたが、端にはアスファルトが続いていました。山の中だけど、山道感はあまりないですね。

 

 

最後までほとんど階段でした。段差の低い階段で、整備されて歩きやすい道。

 

 

途中の展望箇所。これから下る集落と太龍寺方面の山。那賀川の蛇行が雄大です。山と川に合わせた地形。

最後は石畳みで雰囲気がありました。

[  20番 鶴林寺  ]

本尊:地蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師(創建798年
)

お寺は標高500mに建ち、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われる2番目の難所。大師がここで修行中、2羽の鶴が杉の木立に舞い降りました。よく見ると、小さな黄金の地蔵菩薩を守っていました。鶴が舞い降りたとされる杉は今も本堂横に立っていて、一対の鶴の像が本堂を守っています。天正の兵火を逃れたため、貴重な遺物が伝わります。

参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ

立派な杉を見ていると、お掃除の方に笑顔で「お疲れ様です。」と。自然に触れると疲れも汗もスッと消える。

 

ベンチに荷物を置き、本堂へ。

本堂

鶴が見守っています。

山門もそうですが、とても年季の入った貫禄ある感じ。他のお寺よりも渋さがあるような。

火照った身体が山の空気で一気に冷やされる。呼吸のリズムに合わせて、頭の中を整えます。今日はたくさんの方にお会いしました。たくさんのお接待をいただきました。感謝を告げながら合掌。

大師堂には団体さんが。

あ・・・と思いましたが、納経所は2人態勢だったので、すぐに御朱印をいただけました。ふー、焦る。

鶴林寺は、鶴に見守られた優しい空気のお寺でした。同じ山の上でも、焼山寺とはまた全然違う雰囲気で。ちなみに、鶴林寺の付近一帯は自然公園になっています。

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はじめての野宿は小学校

大井小学校跡まで2.2km

 

案内板と道標があるので、それに従い下山。

 

登り同様、ほぼ階段です。膝にくるような階段が続くので、膝痛が出る場合は杖があった方がよさそうです。どちらから登るにしても杖が置いてあります。

鶴林寺を出たのは14時40分頃。さすがにこの時間から登ってくる人はいなかったので、静かな下山。

大井休憩所800m。

 

登るときに借りた杖はこちらに返します。

 

車道からトイレの案内が続いていて、どこにあるんだ?と思っていたら、これは大井小学校のトイレでした。今すぐトイレに行きたい!っていう人が見たら、どこにあるの!?って焦りそう。

 

「トイレ」と「21番」の案内。「トイレ」に従うと小学校の中へ、「21番」に従うと太龍寺へ向かう道に出ます。

 

 

15時15分到着。

ガラーン・・・と誰もいない。小学校跡にテント泊は初めてですね。ネットでは「ホラーだ!」という方もいましたがどうだろう。雰囲気は子どもの頃に見た学校の階段。

秋は15時を過ぎるともう夕方。コンクリートの方が片付けが楽なのでグランドではなく微妙な位置に。芝生の上とかの方が気持ちよく寝られるけど。

今のところ自分1人だし、水道の近くに張っちゃえ〜という感じで。階段を上がったドアの前でもいいかなと思いましたが、なんとなくやめました。

と、一台の車がブオーンと乗りこんできた。

え、なになに!?と若干恐怖を感じましたが、中から出てきたのはお父さんと小学生の息子さん。校庭でテニスをしたり、キャッチボールをしたり、遊びに来たようです。

日が暮れる前に夜ごはんを食べてしまおうと、親子を見ながら今日いただいた梨と道の駅で買ったごはん類をパクパク。

梨は一人で食べるにはお腹が膨れるほど瑞々しくて、甘くてめちゃめちゃ美味しかったです。"新高梨"おすすめ◎

トイレは校舎の隣にありました。この小学校跡は住民の方に結構利用されるようです。トイレは、ゲートボールをされる方々が清掃を行ってくださっているようで、とても綺麗でした。

利用案内が貼られていました。お遍路さんの一夜しのぎも黙認されていますが、教室内への立ち入り、火器の使用は禁止です。ゴミは持ち帰ること。木造の建物なので、家事になったら大変。

外で十分遊んだ親子が、帰り際に
「あの~、今日ここで寝るんですか?」
と。「あ、はい。一晩お借りします。」と答えると「え~!ここで寝るのか~すごいなあ、頑張ってください。」と言われました。

3,4年生くらいの息子さんにも「頑張ってください☆」とヒーローのような力強いガッツポーズをいただいて、思わず笑顔。明日の活力にしよう。

テントの中に入ると17時過ぎに人が来ました。どうやらお遍路さんのようで、挨拶しようと顔を出すと、今日何度もお会いしたお坊さんと尼さんのご夫婦でした。

「あー!やっぱり!テント装備だからここかなーと思っていたんです。わー良かったー!」と尼さん。私も心強い。

お坊さんは旦那さんということをここで知りました。お2人は鹿児島のお寺の方々。荷物が小さいと思ったら、野宿道具は寝袋のみ。マットなしという強者・・・まじか。やはり、修行が強くさせるのでしょうか。

てっきりお寺に泊まりながらなのかと思いきや、ほぼほぼ野宿。充電のためにたまーに安宿に泊まるそうですが、本当に数えるほどとのこと。一日40kmくらい歩いているので、ペースはとても速い。栄えている場所では野宿場所の確保が難しいですが、徳島市内でも銭湯の近くにあった東屋て野宿をしたそうで。すごいなあ。

お2人は階段を上がって、扉の前にある簀の子の上で寝ていました。そこにテント張らなくて良かった。明日は23番薬王寺まで行くということで、着くなりすぐに寝る態勢に。

尼さんがとても明るい方で話していて楽しかったのですが、明日も40km超えとなるとお会いするのは今日で最後かな、残念。

カップルの方が「謎の獣の声が一晩中していました」と仰っていましたが、鹿でした。怪談噺のような音も何もなく、自然音に溢れた寝心地の良い場所でした。朝晩は結構冷えます。

今日はたくさんの人とお話できて、本当に楽しい1日でした。やはり、旅の醍醐味は"交流"ですね。明日は、太龍寺を目指してまた500m程登って行きます。

★ 本日の歩行許:30.3km
★ 累計:135km

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