歩き人たかちです。
誰にでもある登山の失敗。
他人の失敗談を聞いて笑いつつ、いざ失敗すると笑えない。時が経てば、あんなこともあったな〜こんなこともあったな〜と思えるのですが。
いろいろあって、たくさん学んで、歩き続ける。愚かだったなあ・・・と思う、記憶の強いものを振り返ってみました。
「早い」が正義、頭痛と汗冷え
学生時代に山を歩き始め、登り方も、呼吸の仕方も、計画の仕方も、何も知らなかった頃。体力に任せて早く登ることが正義のようになっていました。
埼玉県の両神山へ訪れたのは秋。気候がちょうどよく、同行者とともに何も考えずガンガン登っていました。そのときは「止まったら疲れる」という謎の思考があり、暑くなって無駄に汗をかいてもひたすら上へ。水もただのお荷物で、水分補給すらまともにせず・・・
その結果、酸欠を起こしたのでしょう。頭がズキンズキン痛くなりました。水をしっかり飲んでいないことも原因だったと思います。高山病を起こすような標高ではないので、水を飲んで休んでいると痛みは和らぎました。
しかし、そこで襲ってきたのは"汗冷え"。
無駄に早く登って、無駄に汗をかいて、秋の気候で一気に冷やされる。頭の痛みがなくなったので無事に登頂したものの、痛みと寒さの両神山でした。
当時は1000mくらいの近場の山が中心で、霧ヶ峰などちょっとした遠征をすることはあったもののハイキングコース。そのため、ちょっと長めで、2000m近くまでしっかり登る両神山に浮かれていたのだと思います。この山行を境に、山の歩き方をしっかり考えるようになりました。
誰も地図を見ていない無計画登山
アウトドアメーカーに入社して間もない頃、同期と3人で川苔山へ。
学生時代は奥多摩などの人が多いメジャーな山に行くことがほとんどで、地図を持つ習慣がありませんでした(持つ意識すらなかった)。このときも、事前にネットでなんとなく川苔山を調べて奥多摩駅へ。3人中、地図を持ってきたのは1人だけでした。予定通りバスに乗り「川乗橋」で下車。そこから登山口までは川乗林道を歩いて40分ほど。
バスまでは順調でしたが、そこから。この日午前中は雨で、林道だったので傘をさして歩いていました。お喋りに夢中になっていたところ・・・
「あれ?そういえば登山口ってまだ?」
1人がそう言い出したのは、なんとバス停から1時間30分ほど歩いたときでした(遅すぎ)。登山口まで何分なのか、誰も確認していなかったのです。
「地図を見よう」とここで初めて確認。バス停からのコースタイムは40分。おかしい…でも、登山口なんてあっただろうか?
Googleで位置確認を試みるも圏外。しかし、このまま歩き続けると秩父らしい。コースタイムの倍の時間歩いているのだから、さすがに通り過ぎてるでしょということで戻りました。すると、しっかり登山口の標識があり、なんならトイレまである。3人とも傘をさしていた&お喋りに夢中すぎて、何も目に入っていませんでした。
もうお昼だよ!という時間からようやく登山開始。そこからは順調に歩き、無事川苔山に登頂。しっかり腹ごしらえをして、さあ下山!となりましたが・・・
「ここから鳩ノ巣駅行けるんだ〜。奥多摩駅の手前だし、バスに乗らなくていいからこっち下る?」
みんな賛成。単調な6kmの道をどんどん下りました。18時頃の下山でしたがなんとか明るいうちに鳩ノ巣駅に到着。「地図は見なきゃだめ。その前に持たなきゃだめ。」など、いろいろ反省しながら電車を待っていましたが…
「あああぁぁあ!!!」
1人の子が何かに気がついた。
なんと、その子は出発前に不要な荷物を奥多摩駅のロッカーに入れていたのです(日帰りで不要な荷物って何だったのだろう?)。40分に1本くらいしかない電車で1人反対方向へ・・・
計画も立てず、地図もまともに見ていなかった(持っていなかった)あの頃。今となっては心底呆れますが、そういう登山ほどよく覚えています。綺麗な景色を見たはずの山より、このときの登山の方が記憶に残っています。
履き慣らし中の登山靴で27km
初任給を握りしめて買いに行ったもの。それは、ゴローの登山靴でした。
学生時代に履き潰したKEENとさよならし、テカテカのゴローを迎えて気分上々。自分で育てていくオールレザーに強い憧れを抱いていました。ローカットで歩くことが多くなりましたが、今でも信頼できる相棒です。
自分の足の形に少し矯正してもらう"セミオーダーメイド"だったので、手に入れたのは夏頃。職場の先輩には「半年くらいは履き慣らした方がいいよ」とアドバイスを受けたので、高尾山や奥多摩など近場の低山で履き慣らしをしていました。
10月下旬、いつもの履き慣らしで計画したのは伊豆の"天城山"。天城山だけなら特に問題ありませんでしたが、地図を見ていると「三筋山まで縦走できるなあ・・・」と気がついてしまった。調べるとススキの名所らしい。しかも、バスに乗らず伊豆稲取駅まで下れるではないかと。
これはいい!と思い縦走することに。総距離は27km、公共交通機関で「天城山縦走登山口」に着くのは9時頃なので出発は遅め。しかし、スペインの巡礼路で毎日30〜35km歩いた経験から、「まあ、大丈夫だろう」の一思いで行ってしまいました。
ルンルンで天城山に登頂しましたが、八丁池を過ぎたあたりから徐々に時間が気になりはじめました。そのうちだだっ広い、どこでも歩けてしまうような樹林帯へ。秋の落ち葉で登山道は覆われ、焦りから早めに歩いているといつの間にかコースアウト。コンパスを使って登山道に戻ったものの、さらに焦るし、まだまだ硬い登山靴が痛い。
三筋山の手前でかかとの痛みはピークになり、スピードダウン。なんとか三筋山に到着したのは16時前。オレンジ色の夕日に照らされたススキは美しかったけど、心も身体もそれどころではない。
三筋山から伊豆稲取駅までは7km。靴擦れをしたかかとに応急処置を施し、ヘッドランプを点して1分、1秒と闇に包まれていく三筋山を急いで下山。練習用に借りていた先輩のトレッキングポールを念のため持参していましたが、これがなければ歩く気力はなかったと思います(トレッキングポールってすごいと学んだ)。
三筋山からの下山は幸いロードで、真っ暗な林道を下り民家が出てきたときの安心感といったら・・・18時半頃だったか、伊豆稲取駅に到着して無事に帰宅しました。
スタート時刻が遅いにもかかわらずロングルートで計画したこと、過去の経験から安易に考えてしまったこと、履き慣れていない靴であったこと。血だらけのかかとに呆れながら、猛反省して電車に揺られた痛い思い出です。
結局、ゴローの登山靴は半年ほど履き慣らしてようやく踵の痛みがなくなりました。短い履き慣らしで十分な人もいると思いますが、履き慣らしって大事だなあと・・・
東北遠征、冬靴を忘れる
登山に来たのに靴を忘れた
これは、結構あるあるな失敗談だと思います。そして、私もしっかりやらかしました。冬靴で。
仙台の同期の家に泊まって、残雪の"泉ヶ岳"に登ろう!という楽しい計画でした。東北の雪山で遊べることにわくわく。しかし、仙台駅に到着したときに気がついた・・・
冬靴忘れた!!!
仲間にLINEで一報。何やっているんだと、こぞって攻撃されました。結局、仙台の別の同期の子にお願いして靴を借りることに。
しかし、その子の靴は24cm。私が履いているのは22.5cm。頑張って靴紐を締め上げても、空間を完全に埋めることはできませんでした。
泉ヶ岳は標高1200m弱の山。コースタイムも長いわけではなく、ヒップソリで遊ぼう〜というような緩い感じだったので、借りた靴で泉ヶ岳へ。
靴は大きかったものの、怪我なく遊びながら下山しました。しかし、冬靴を忘れるのはだめですね。最悪買う覚悟はしていましたが、そうなった場合の出費が痛すぎる。忘れないためには履いていくのがベストですが、冬靴のガチガチの硬さがとても嫌いで・・・忘れ物には要注意。
晩秋、夏用シュラフで眠れず
社会人になってテント泊の楽しさを覚えてからは登山の幅がぐっと広がり、紅葉の涸沢でソロテントデビューを果たすとソロテントにも拍車が掛かりました。
11月上旬、狙ったのは晩秋の雨飾山。紅葉のピークは過ぎていましたが、雪が降る前にと。雨飾山の登山口には「雨飾高原キャンプ場」があり、オートキャンプ場とは別に"登山者用フリーサイト"があるのでここに前泊することに。
このときの私は夏用のシュラフ(モンベルのダウンハガー800#5)を3シーズンで使用していました。秋の涸沢も#5で平気だったので雨飾山も大丈夫だろうと(シュラフ購入時、なぜ#3を買わなかったのかということは、常々後悔していました)。
キャンプ場の標高は1200m。涸沢よりも1100m低いとはいえ、季節は1ヶ月以上進んでいます。寝初めは良かったのですが、じわじわと襲ってくる冷え込み。ダウンを上下着込んで寝ていましたが足りず、夜が深くなるほどに寒さは増し目は覚める一方。
「寝て忘れてしまえ・・・」
そんなことを考えるも、逆に脳はどんどん覚めてくる。
ほとんど0℃の山中で限界温度4℃の夏用シュラフでガタガタ震え、体力は回復どころか消費していたはず。寝たのか寝ていないのかわからない状態で、何度も時計を見た長い長い夜でした。
翌日は雨飾山のヴィーナスにも会えて、美しさに秋の夜長のことは忘れて楽しみました。しかし、夏用シュラフの限界と眠れぬ夜の長さを知った寒い寒いテント泊でした。
食料と火器の選択ミス
失敗というか、選択を間違えた話。
「火器類をもう少し軽くできないかな?」と、固形燃料を使い始めた頃。同期と鳳凰三山へ登りに行きました。
日の出を見るため4時に出発しようと話し、3時頃起床。朝は食欲がないので、無印で流動食のリゾットを買いました。
登山用ではないので普通に調理して15分くらいだった気がします。山だし、固形燃料だし、起きると同時に火にかけましたが…
待てども待てどもごはんが硬い。全然柔らかくならない。
エスビットの燃料を追加しながら30分火にかけても芯はしっかり残ったまま、40分後も特に変わらず。「多少芯が残ります」的なことが書いてあったと思いますが、それにしても硬い。もはや食べる時間がないので、硬いリゾットを一生懸命流し込みました。
無事4時に出発して綺麗な朝日を拝むと同時に、リゾットはもう買わないと心に誓いました。固形燃料の火力が弱く、いつまで経っても柔らかくならなかったのでしょう。
そもそも「中火で15分」とかだったので、やるにしてもガスバーナーがいい。時間のかかるものを登山で、しかも固形燃料でやってはいけなかった。食料も火器の選択も間違っていました。
登山口直前でボトル紛失
大事な大事な水のボトルを紛失し、危うく登山中止にするところだった乗鞍岳。
乗鞍岳は、乗鞍高原から登って畳平へ下山するコースで計画しました。畳平からサクッと往復できますが、サクッと往復したくなかったのがこのころの私。
夜行バスで新島々駅へ行き、そこで2時間ほど始発のバス待ち。ようやく着いた乗鞍高原であることに気がついた。
ボトルがない!!!
ザックのサイドポケットに入れていたボトルが無くなっていたのです。バスに乗ったときはあった。ということは、席に置いていたザックからスルリとボトルが抜け出し、気が付かずにそのまま降りてしまったのか。
やばい。水がないと登れない・・・
ここまで来て絶望的な気分でしたが、幸いそこは乗鞍高原。1kmくらい歩けばホテルがある場所でした。ホテルには自動販売機があるはずだ。
歩きながら自動販売機を1台見つけましたが、それは故障中。そのままホテルまで歩き、中に入るとありました。1.5L分購入して再び登山口へ。
登り始める前に気がついたことは不幸中の幸いでした。
残雪期の乗鞍岳。若干道に迷いながら位ヶ原山荘に到着。そこからは小屋番さんのアドバイスで雪の回廊を歩き、シーズン最後のスキーを楽しむ人たちを横目に斜面を登りました。
途中で登山道はハイマツに覆われ、あたふたしているとちょうど月山頂上小屋の人たちが上がってきました。「あ〜覆われちゃってるなあ〜」という小屋番さんを先頭に、一緒にハイマツの上をガサガサ登る。
ハイマツって痛い、ハイマツって強い・・・と身に沁みながら、小屋番さんたちのおかげで無事乗鞍岳に登頂したのでした。
これ以降、ボトルをサイドポケットに入れて行くときはカラビナを付けるようにしています(ボトルの蓋にカラビナを付けられる仕様)。
計画を急遽変更して痛い目に
北岳・間ノ岳・農鳥岳の白峰三山を縦走したときのこと。1日目は北岳山荘、2日目は大門沢に泊まる2泊3日で計画しました。
1日目は順調に北岳山荘に到着。痛い目を見たのは2日目。大門沢に泊まる予定だったので、特に急がず5:30に出発。素晴らしい稜線を歩き、間ノ岳、農鳥岳に登頂しました。
そして、奈良田温泉へ下山を開始するときにふと思った。
15:00発の広河原へのバスに間に合うのでは?
コロナのコの字もなく、予約もせず好きなように山を歩いていた頃。もともと大門沢に泊まるのは中途半端だと思っていたので、「間に合うかも」と思い始めたら間に合いたくなってしまいました。
奈良田温泉へは標高差2000mの急登を一気に下山していきます。今でも一回歩けば十分だと思っているコース。
スピードハイクのように下っていたために、ロープのある滑りやすい斜面で転倒。手をついた少し先は断崖絶壁。一歩間違えていたら・・・身体が震えました。
そのあともひらすら下り続けて大門沢に到着。コースタイム的には少し余裕が生まれ、なんとかバスに間に合いそう。意を決して大門沢を出発。
しかし、同じように歩いているつもりがコースタイム前後のスピード。「なんで!?結構サクサク歩いているのに?」と焦っていましたが、実際は疲労が蓄積していたのかもしれません。
急斜面のジグザグ道を下っていたとき、ふと顔を上げると少し先の曲がり角にピンクのウェアを着た女性の姿が見えました。「おお、人がいる。あの人もバスに乗るのかな?」と思い、同じく道を曲がり先を見るも・・・いない。
曲がった先は広い空間で、距離的にはまだ見えるはず。しかし、誰も歩いてはいませんでした。「あれ?」と思ってキョロキョロしたとき、曲がり角の枝にはピンクテープがブラブラと。
どうやら、疲れと焦りでピンクテープが人に見えていたようです。しかも、はっきりと歩いている人に見えていました。恐ろしさとともに、無理をしていることにここで気がつく。それでも進むしかないので、迫る時間を気にしながら下る。そして、なんとか登山口に到着。
安堵するも、バスの時間まで30分になっていました。奈良田温泉の一番近いバス停「丸山林道入口」までは3km弱(*夏季限定で第一発電所にバスが停まることを知らなかった)。Googleで調べると30分ちょっと。もう、走るしかない。
水は残り200ml。急登を一気に下ってきて膝が笑っていました。初めて膝が笑って本当にガクガクするんだと感動すらしていましたが、重いテント泊装備を揺らしながら走る走る。
すると、あるはずのないバス停(知らなかっただけ)が見えました。第一発電所前には期間限定でバス停が現れるのです。
助かった・・・
もう本当にその一言でした。
第一発電所のバス停に診療所を設けようか検討しているときで、実験として仮の診療所がありました。簡単なアンケート調査を実施しており、水も完備。診療所の女性は私のボトルを見るなり「水入れてあげるからね!」と。さらに「血圧も測ってあげるから」と言われ、体調が悪いわけではないですが測ってもらい「あなた、下山直後にしては血圧いいわねえ」と言われながら、アンケートには感謝の言葉を書き連ねました。
そんなこんなで無事に広河原行のバスに乗車。急な計画変更によるスピードハイク、疲れ、幻覚、バス停の確認不足・・・バス停にいた男性はもともと1泊2日で計画しており、その日も4時に出発したとのこと。無事に下山したものの、猛反省した白峰三山縦走でした。
縦走2日目、ソフトボトル損壊
プラティパスのソフトボトルをずっと愛用していました。今でも結局使っていますが、自分のミスで大事な大事な2Lのプラティパスを失ったのは、北アルプス4泊5日の縦走2日目。
折立から出発し、薬師岳→黒部五郎岳→西鎌尾根→槍ヶ岳→大キレット→北穂高岳→奥穂高岳→岳沢→上高地という豪華な縦走をしていたときのこと。1Lのボトルと2Lのプラティパスを持参しました。
2日目は黒部五郎小舎のテント場。2Lのプラティパスにたっぷり補給して、水道横の細めの板の上に立てて置いていました。手ぬぐいを濡らしたり、顔を洗ってたりしていたところ・・・
バシャーーーン!!!
プラティパス落下。拾おうとすると・・・あれ?漏れる!?!?
落下した地面にちょうど石ころがあったようで、しかもちょうどよくプラティパスのど真ん中に命中。ぱっくりと穴が空き、命中した石がプラティパスの中にいらっしゃいました。
2Lのプラティパスは早速ただのお荷物に。小屋でペットボトルを2本買い、計3Lから2Lに。小屋が定期的にある北アルプスだからこそ助かりましたが、翌日の西鎌尾根ではギリギリの量でした。
それ以降2Lは使用禁止。それまでは1Lのプラティパスを2つ持ちだったのですが、2Lがなんとなく便利そうで使ってみた結果リスクが大きかったです。再び1Lを持ち歩くようになりました。
槍ヶ岳で合流した山仲間に「ハイドラパックがいいよ」と勧められ、少しの間この2Lを使っていました(使用していのは旧モデル)。しかし、結局臭いが苦手なのと、持っている浄水器を付けられないので使わなくなりました。ただ、素材は良かったです。
そろそろプラティパスが壊れるのではないかと思っているので、購入を検討しているのは「Cnoc Vesica」。ソーヤーミニが取り付けられることが魅力で、臭いも特にないらしい。
行動食が足りずシャリバテ
"シャリバテ"は経験している人も割と多いのではないでしょうか。
私がシャリバテを起こしやすいのは夏。暑さで食欲が出ないことが主な原因。しかし、そもそも行動食が足りずにシャリバテを起こすという愚かな縦走も。
2日目にプラティパスを損壊した北アルプス4泊5日の縦走中、次は3日目にして行動食がほぼなくなるという失態。
夏に口にできるものは、グミとかゼリーとかゼリー飲料系のもの。しかし、ゼリー系は重いですよね・・・夏の行動食選びは今でも課題です。
このときの一番の失敗は「どうせ食べられないから、これくらいでいいか」と、大した食料計画もせず少なめだったこと。北アルプスということで、足りなかったら山小屋で買おうという甘い考えもありました。
そのとき何を持って行ったのかはよく覚えていませんが、いつもよりも多く食べていたことは確か。結果、3日目にして「明日からの分なくない?」という状態になり、控えめに食べていたら西鎌尾根のラストスパートでシャリバテ。
双六小屋で何か食べてから出発すれば良かったのですが、そのときは食欲がありませんでした。
無風で夏のあつーい陽射しが降り注ぐ中、槍ヶ岳を前に足が動かない。槍ヶ岳山荘で買い足せるので食べてしまってもいいものの、シャリバテになってもなお食欲がわかない。食べないといけないのはわかっていても食べたくない。そんな状態でした。
5mくらい歩いては立ち止まり、暑さにやられ上を見上げては絶望し、岩に座り込む始末。なんとも情けない歩行でした。双六岳で水を補給したものの、やはり2Lではギリギリでした(無風なのが本当に辛かった)。
岩に腰掛けながら、槍ヶ岳で合流する山仲間に「シャリバテしてます」とメールまで打っていました。一歩一歩登って、なんとか槍ヶ岳山荘に到着。山仲間は逆に行動食を持ってきすぎて困っているということで少し分けていただき、足りない分は山小屋で購入。翌日からの縦走も無事に歩き終えました。
「どうせ食べられないから」
「山小屋で買えばいい」
そんな、自分の甘さが仇となった山行でした。遭難など万が一のことを考えても多めに持たなければいけないのに。シャリバテの登りがあんなに辛いとは・・・エネルギー計算などの綿密な食料計画まではしていないものの、余りを次の山行に回せるくらい十分な量を持ち歩いています。
下りすぎからの藪漕ぎ
記憶と違うと思いつつ、後ろに人がいることでどんどん下ってしまった岳沢。
奥穂高岳から岳沢経由で上高地へ下山。岳沢小屋から先は、少し岩場を歩いて樹林帯に入ります。しかし、樹林帯への道を見逃していました。
初めて奥穂高岳に訪れたときは、上高地から岳沢経由で登りました。記憶では、樹林帯を抜けてからの岩場はそんなに長くなかったはず・・・
「あれー?こんなに長かったっけ?」と思いつつ、後ろには男性が一人。お兄さんも下ってるしな〜と思いつつさらに下る。一度歩いた道ということで気が抜けていました。
でも、さすがにここまでは下らないわ。
そんな思いで立ち止まり、やっちまったなーと思って後ろを振り向くと「お姉さーん!これ道違いますねー!」と男性が叫びました。「そうですよねー!」と返事をしつつ、お兄さんの方へ。
お兄さんも「こんなに下ったっけな〜」と思いつつも、私が下っているため安心してしまったと。改めて地図を確認。お兄さんはYAMAPを確認(GPSあるんかい!笑)。お互い口にはしませんでしたが、夏の太陽がギラギラ照りつける一番暑い時間。そんな中岳沢小屋まで登り返したくない・・・
「もう少し先で登山道と一番近くなるので、そこの斜面を上がってみましょう」とお兄さん。ぜひ、そうしましょうということで、そのままもう少しだけ下りました。そして、登山道に一番接近している斜面を藪漕ぎ。薮というか、枝漕ぎ。
雪の重みでぐわんぐわんなっている枝と薮を跨ぎ、くぐり、掻き分け登る。「ちょっと待て、行けるのかこれ?」と内心思いつつ、若干の無理矢理感もありながらお兄さんが先頭で漕いでいく。
岳沢小屋まで戻った方がよかったのでは・・・と弱気になったところで登山道に出ました。1人だったら確実に登り返しましたが、なんとか。
お互いおかしいと思いつつ、人が歩いていることで安心してしまっていました。反省しながら、上高地まで一緒に下山。歩いたことがある道こそ怖い。そして、GPS便利だなと思いました。
持って行ったのはポールだけ
シンプルにテント本体を忘れた失敗談。
利尻山の初登頂はガッスガス。そのリベンジを果たすために利尻島へ飛びました。「利尻島ファミリーキャンプ場ゆ〜に」に到着し、うっきうきでテントを張ろうと思ったら・・・
ない・・・
テントがない!!
パッキングを終えたとき、なんかいつもより軽いと思いました。でも、「結構ULにできたんじゃない?」とご満悦になってしまいました。そこで確認すればよかったものを・・・
以前泊まったゲストハウスに電話をしてみようか考えましたが、「ここ確かレンタルがあったような・・・」と。希望を抱きながら管理人の方に事情を話すと、「今コロナでレンタルやってないんですよ」とのこと。ダメだったかあと思いましたが、「ちょっと待っててくださいね」と言って奥へ。
なんと、テントを貸してくださいました!
「レンタル料支払います」と言っても「いいから、いいから」と。キャンプ場に来ていたキッチンカーの方とともに「なかなかやりますね〜」と笑われながら。
お借りしたテントは3〜4人用で、贅沢な広々空間で3泊爆睡させていただきました。周りの人に「何であの人あんな大きいテント・・・」とか思われていたかもしれない。
利尻島のあとは礼文島に渡る予定で、礼文島もキャンプ場で考えていたのですぐに宿とキャンプ場のバンガローを予約。お花が咲き乱れる混雑期でしたが、なんとか確保できました。
セイコーマートでお菓子を買い、ウェットティッシュで隅々までテントを拭き上げてお返しするくらいのことしかできませんでしたが、おかげさまで無事に利尻島を満喫して礼文島へ。
利尻島は本当に大好きで、キャンプ場「ゆ〜に」も本当に居心地がよくて最高です。来訪することが一番の恩返しかな。
普段の持ち物、絶対に忘れてはいけないものだけでもリストアップしておくことが大事ですね。テント一式とシュラフ、マットだけでも忘れていないか、玄関を出る前に再度確認しています。
まとめ
山を登るたびに慎重になるし、臆病になる。最近大きな失敗は特にありませんが、小さな忘れ物とか、電車を乗り間違えるとか些細なミスは油断しているとやらかします。
「あの頃は〜」とか「バカだったな〜」とか笑えればいいですが、命に関わる遊びなのでリスク管理が大切だと痛感したことばかり。
忘れていることもあると思いますが、失敗から学んで成長している部分もある。日々勉強、これからも試行錯誤しながら経験を積んでいきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
よろしければ、応援よろしくお願い致します。
コメント
たかちさん本当に其方此方沢山の山を歩かれていますね。それだけにミス・アクシデントもありますよ。私の知り合いにも冬の八ツに行って、駐車場でいざ、靴を忘れた!で大ヒンシュクの輩もいますよ。彼は鈴鹿、前夜泊の沢登りでテントを忘れフライだけ持ってきて大ヒンシュク。たかちさんと似てるかも?
私はと言うと…
!冬の奥多摩・御前山、下りでアイゼン付けずに歩いていて凍結路でタコ踊り。
!谷川連峰縦走、切り立ったコルで休憩。笹薮に立て掛けたザックが何故か揺れてゆっくりと谷底へと落下。もう真っ青。もう駄目かと思うが、下降して必死で回収。
!肩の小屋から西黒尾根へ下るも雪壁が急になるばかり、正しいルートに必死で逃げる。滑落寸前。
!初冬の八ツ・硫黄岳、突風に吹き飛ばされる。
!夏の白馬、天候悪化で鑓温泉へ下降。分岐点で突風、下の登山道に頭から落下。幸いケガなし。
!白山・小白味谷、ビレーを取る場所がなく、か細い灌木に取る、トップがスリップして落下、あとで灌木を見たらグラグラ、二人してあの世行き寸前。
秋の猿ヶ馬場、笹薮酷く何時の間にかエネルギーゼロに。引き返すに引き返せなくなる。思案の末、笹のない谷へ一旦下って登り返すが力が出ない。チョコを齧りながら痙攣する足を何とかなだめすかして踏み跡の確かな稜線に這い上がる。夕暮れが迫り、遭難寸前。
他にも色々と?
たかちさんとは少し内容が異なりますが、山に限らず、失敗、冷や汗、崖っぷち、誰にでもありますね。大事にいたらず切り抜けられれば結果オーライで良いのでは。経験は必ず糧になりますから。
残念な思い出もあります。
夏、岳沢ヒュッテから前穂へ、吊尾根を奥穂、涸沢から横尾へ。山荘泊。二段ベッドで私は上、下は70歳近いご老人。話していると、明日は涸沢へ、奥穂から前穂、上高地と私とは逆コース。歳だから一日の行程を短くして小屋に泊まるが、気を付ける所は無いかと聞かれ、紀美子平からの下りの最初の鎖場が岩ツルツルで滑落に要注意!と話しておきました。そのお年で大丈夫なのか?と思いながら。
帰宅して後、新聞を見ていたら前穂で滑落死の記事が(昔は顔写真が公開される時代だった)。見るとあのご老人! 多分鎖場でスリップ、鎖を握る腕力だけでは体重を支えきれなかったのでは。横尾山荘で聞かれた時、危険・無理だからと、どうして止めなかったのか悔やまれます。