2020.11.23(月)祝日
愛媛県今治市 曇り☁時々晴れ☀ 16/11℃
歩き人たかちです。
今日は56番泰山寺から4つのお寺を参拝します。宿は「ゲストハウスBEKKU」。60番横峰寺へのコースを検討し、はじめは「石鎚山ハイウェイオアシス」のキャンプ場にテントを張って空荷で往復を考えていましたが、先を歩くYさんよりそれは結構大変になるとの情報。そのときにBEKKUのことを教えていただき変更。
今日は、宿の方の事情により17以降のチェックインをお願いされたので、ゆっくり出発。とぼとぼ31km。
入口を間違えた。56番「泰山寺」
*ゲストハウス シクロの家~泰山寺:2.8km*
6時起床。電子レンジの使用が8時からなので、準備をしてだらだら。サイクリストのみなさんは結構ゆっくり寝ていました。
7時45分に1階へ行くと、昨日のスタッフさんがちょっと眠たげな顔で共有スペースの鍵を開けていたので、早速使わせていただきました。昨日私がちょっと渋い顔をしたからか…おかげさまで無事に豚汁で身体を温め、8時15分に出発。
鏡のような今治駅。
泰山寺は今治駅から気持ちのいいほど真っ直ぐ。「喜助の湯」には結構車が停まっていました。
歩いていると、鴇田峠と星の浦海浜公園で見たおじさんをまた発見。泰山寺は真っ直ぐだけれど、信号の先で前を横切って行った。どこへ行くのか、また迷子かな…。泰山寺を打ち終えて永福寺へ行くのか。それでも道は違う…。
おじさんどこ行ったんだろうと思いつつ、泰山寺そろそろだよな…と、地図ではなくGoogleを開いたのが間違いだった。あれ、もう泰山寺じゃんと立ち止まった場所には階段が。
ここ?と思いつつ立派な階段の方へ進んでしまい、鳥居までくぐったくせにそのまま進む。階段を登り切ってから「違うわ。」と気が付く始末。階段を下りると、隣に泰山寺へのスロープを発見。お隣の敷地でした。
でも実際にはこのスロープは山門を通らないので、入口としては違う。もう少し先にへんろ案内がありました。Googleだとたまにこうなる。
とりあえず無事に到着。山門は帰りに。
本尊:地蔵菩薩
宗派:真言宗醍醐派
開基:弘法大師(創建815年)
今治平野を形成する「蒼社川」は、かつて毎年のように氾濫し、田畑や家屋を流し人命も奪っていたため「人取川」と呼ばれ恐れられていました。弘法大師がこの地を訪ねた時も氾濫していて、大師は土地の人とともに堤防を築き「土砂加持」を修しました。土砂加持とは密教修法の一つであり、土砂を死体や墓にまいて亡者追善の祈祷をすることです。その満願日に延命地蔵菩薩が現れ、それを刻んで本尊としました。延命地蔵の十大願の一つ「女人泰産」から寺号が名付けられました。何度か兵火で荒廃し、山頂にあった境内は現在の地に移転。そこはかつて大師が手植えした松の木が生えた場所。現在はその3代目が境内にあります。人々に「仏の恩、大自然の威力、人の愛を忘れるな」と諭したとされ、「不忘松」と呼ばれています。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
3連休なので団体や個人ガイドで来ている人も多いです。
「同行二人之愛」と柱に書かれています。「愛」が、なんだかお寺では違和感。
お寺を出るとき、後ろでガイドさんが「歩いて回っているんですね~」と参拝者の方々と話していました。「若いのに偉いわね~」「若いから歩けそうね」「若いからできるわよ~」とかいろいろ。
「若いから」という言葉は正直聞き飽きていました。歳を重ねれば体力は落ちるけど、「若いからできる」というのはまた違うと思う。60代でも70代でも元気に歩いている人はたくさんいて、この前の方は88歳。結局、何歳になっても「やるかやらないか」の問題。
スペインの巡礼路で、70歳のおばあちゃんが「明日は今日よりも若いから、何でもチャレンジするの」と言っていたことをまた思い出します。
山でも元気な人はたくさんいる。自分もアクティブに、パワフルに歳を取りたい。
小さな山門をくぐり、次のお寺へ。
住職さんが活動家。57番「永福寺」
*57番永福寺まで3.1km*
ところどころに散らばっているへんろ案内に従って歩いていると前方にへんろ小屋発見。と、中から朝のおじさんが再び。「こんにちは。」と挨拶を交わしましたが、鴇田峠で会ったことは覚えていないようす。
どうやら、ぐるっと回ってきてこれから泰山寺に行くらしい。会うときはいつも地図を片手に、スマホで確認しているところは見たことない。黄色の地図は方位がぐちゃぐちゃだから迷ってしまうのか。でもここまで地図オンリーで来たんだろうな。
文明の利器にすぐ頼ってしまう自分もいかがなものか。
このへんろ小屋は「日高荘」の一画にあります。忘れ物、預かってくれるんですね。
今治市街からどんどん離れます。
広い道路を歩いたり、狭い道を歩いたりしながら永福寺に到着。
【 57番 永福寺 】
本尊:阿弥陀如来
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師(810~824年)
今治海岸は海の事故が絶えない場所であったが、特に「来島海峡」は、日本3大急潮の一つであり、瀬戸内海でも難所でした。弘法大師が今治近郊の府頭山山頂で海上安全祈願の護摩を修法し、その満願日に阿弥陀如来が現れたと伝わります。神仏習合の時代には、八幡宮の別当寺として信仰を集めました。神仏分離令で山の中腹の現在地に移され、大師堂も山頂から移築。神社の別当寺には困難な時代であり、永福寺も一時は無住の寺となりましたが、近隣の人々の支えもあり何とか持ちこたえました。永福寺の白川密成住職は、時代に合わせた方法で仏の教えを伝えるために、執筆やテレビ番組などで積極気に活動されています。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
山の片隅にある静かなお寺です。
永福寺は、大勢で押し掛けるのが似合わない雰囲気の、とてもこじんまりしたお寺でした。
訪れた時は人がほとんどいなくて、心と頭を静かに整理。山裾にあり、音が全部山に吸収されてしまっているかのような静けさ。ここぞお寺という感じの空気で、とても居心地がよかったです。
境内の中にある掲示板には、住職の白川さんという方の本や映画のポスターが貼ってありました。空海やお寺のことを学ぼうとしても堅苦しい本が目立ちますが、これらはイラストや題名が優しくて、面白そうだなというものばかり。
知ってもらうための活動を精力的に行われているようです。映画は知っていましたが見たことはなく、興味をそそられました。歩く前はお寺にも興味がありませんでしたが、好きな人の気持ちもわかるようになった気がする。
3連休はどこも混んでいるので、精神的な疲れを癒すように永福寺でしばし休憩。
次の仙遊寺までは標高差200mをぼちぼち歩きます。
プチパニックな混雑。58番「仙遊寺」
*58番仙遊寺まで2.4km*
永福寺から農道を歩いていくとだんだん登りになり、そのまま山道へ。
愛媛県のキャラクター「みきゃん」がいました。
急傾斜はなく緩やかに登って行きます。山の中は静か・・・。
最後に階段を登り切ると車道に合流。ガードレールに「歩き40分」という看板がありました。距離は800mで、さすがにそんなにかからないだろう思いながら進みます。
途中のお地蔵様にはアルコールシートが供えられていました。
車にどんどん抜かされていく。ということは、お寺は混んでいるのだろうか。
標高を上げるほど紅葉が見事でした。まだ始まったばかり。落ちたばかりの、色とりどりのもみじが散らばっています。
こ・も・れ・び!いやはや綺麗。
東屋もありました。目の前に池があり、しっとりと休憩できます。
仁王門。ここから先は歩きのみ。車はさらに続く車道を上がって行きます。
徒歩20分というような看板がありました。結局境内まで40分はかかりませんでしたが、ゆっくり写真を取りながら30分弱というところ。
ほとんど舗装された登り。すごい犬の吠え声が聞こえてきました。境内に着くまでずーっと吠えていて、どこにいるのかと思いましたが、どうやら宿坊の方から?
落ち葉のしっとりした秋の匂い。ちょっと狭い箇所や急坂もあります。
最後の階段には何かのメッセージみたいなものが現れました。最後の「最高」だけちょっと異質だけど、山は最高。
境内に到着。山門は車道から上がった方にあったのだろうか。
本尊:千手観世音菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:越智守興(創建7世紀後半)
今治平野と瀬戸内を一望できる標高255mに建つ仙遊寺。戦略的にも要所だったと考えられ、実際に山頂には砦もあったと伝わります。40年間ここで暮らした阿坊仙人と呼ばれた僧が、ある日忽然と姿を消し、そこから仙遊寺と名付けられたといわれます。江戸時代に寺は荒廃しましたが、幕末に宥蓮上人が山主となり復興。維新の混乱期に衆生を救うために1871年に入定しましたが、明治政府からはすでに禁止されており、日本最後の入定といわれています。永福寺から仙遊寺の間には「犬塚池」というため池がありますが、かつて2つのお寺の間をお使いしていた犬が身を投げたという伝説が残っています。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
着くなりとりあえず荷物を置きます。今治市と瀬戸内海の眺め。
到着時は「まあ、こんなものか」という感じの混み具合でしたが、参拝している間にわらわら人がやってきて、境内がどんどん混んで行く。団体も何組かいるけど個人の方もどんどんくる。どうしたどうしたという始末。
大師堂にもどんどん集まってきたので、逃げるように納経所へ。
しかし、納経所では団体の納経帳や白衣が山積み…。3連休なのに住職さんは1人対応。後ろにはまだ誰も並んでおらず、ほとんどの人はまだ参拝中。ツアー会社の方に「歩きなのですが先に一冊よろしいでしょうか?」と断ると「あ、どうぞどうぞ。」と譲って下さいました。
住職さんに「すみません、先にお願いします。」と差し出すと「個人の方ですか?」と、若干迷惑そう。返されるときに「お車ですか?」と聞かれ「いえ、歩きです。」と答えると、ふーん…みたいな顔をされ、何も言わずに団体の続きを。
おそらく「並べよ」と心の中で思ってる。でもこんな山積みを待っていたら日が暮れる。というか、3連休なのだからせめて2人態勢にしてほしい。あのあと納経所は大行列になったのか、住職さんがもう一人出てきたのか。コロナ前はもっと凄かったのだろうと思うと恐ろしい。
逃げるようにお寺を後にしました。
仙遊寺の宿坊には温泉があり、精進料理も美味しいということで、とても人気だと聞きました。通夜堂はコロナ禍でも開放。野宿のMさんは、前回ここの住職さんにとてもよくしていただき、今回も通夜堂に泊まったと。とてもいいお話をしてくださる住職さんがいらっしゃるようです。しかも、通夜堂に泊まる場合も、宿泊の方の入浴が終わったあとに温泉に入らせていただけると!
お大師さまと握手。59番「国分寺」
*59番国分寺まで:6.1km*
帰りも山道の参道を下り、仁王門をくぐって東屋の方まで下ります。登ってくるときは気が付きませんでしたが、東屋の近くに下山道がありました。
山道は奇麗に整備されて、傾斜も緩め。気持ちの良いへんろ道でした。
途中でちょっと視界が開け、ここから階段。
最後は竹林になり、車道に出ました。
静かな広い道を歩いてやがて県道156号。歩道のない狭い道を歩いていると「オオカミ珈琲」という古民家カフェを発見。
すごく素敵な古民家で、ここで休憩したいと思いましたが時刻は12時15分。お昼真っ只中。小さめの駐車場は満車で、外から見ると中もかなり混んでいるようす。3連休だし…やはり連休はどこも混んでる。
今日の宿までまだまだあるので、休むならもう少し先にしようと諦めました。しかしながら素敵だったな…
HPは無いですが、紹介記事やInstagramでは美味しそうな食事からパフェなどのスイーツまで、珈琲以外もとても充実していました。
そのうちまた歩道も出てきて、ひたすら真っ直ぐ歩くと国分寺。3つ目の国分寺です。
本尊:薬師瑠璃光如来
宗派:真言律宗
開基:行基(創建741年)
天平時代、聖武天皇の勅願で諸国に置かれた国分寺は、官道沿いの国府近くの一等地に建てられました。国府の場所は比定されていませんが、国分寺近くにあったとされています。七堂伽藍を備える大寺院で、現在の場所から150m東の位置にありました。第3世住職の智法立師のときに弘法大師が逗留し、五大尊明王の絵を納め霊場としました。お寺は乱や戦火、兵火などでしばらく荒廃したままとなり、本格的に復興したのは江戸後期です。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
手水舎は押すとツボから水が出るという仕組み。
広い県道沿いを少し入った場所にあり、境内も広々していました。
そして、なんといってもこれ。「握手修行大師」。
一つだけ願いを込めて握手をすると叶うというもの。折角なので握手しましたが、後ろに書かれた文言がいい。
お大師さまも忙しいですから。
国分寺ではすっかり3連休の雰囲気はなくなり、日常に戻った感じに静か。混んでいるお寺と空いているお寺の差がすごい。
納経所へ行くと、迷彩柄のパーカーに身を包んだ超ラフな住職さん。御朱印もサラサラ~と書いて、超ラフ。しかも、隣では子供が椅子に座ってめっちゃゲームしてる。お父さんと同じ迷彩柄のパーカーを着た小学5,6年生くらいの男の子。初めての光景に違和感。家族で経営しているということなのか。
ぼちぼち行くかな~と山門を出ると、高知県の巡航船でお会いしたおじちゃんと再会。元気に歩かれているようでしたが、ちょっと足を痛めてしまったとのこと。
明日の60番横峯寺のことを聞かれ、情報交換をしました。
60番横峰寺へのへんろ道
横峰寺へのルートは3つ(厳密には4つ)あります。
横峰寺の前泊宿としては「ビジネス旅館小松」が人気だそうです。この旅館では、地図には記載のない近道ルートを教えてくれる(このルートを含め4つ)とのことで、宿に荷物を置いて空荷で往復する人が多いと聞きました。しかし、歩いたときは休業中でした。
①県道147号+山道2.2km
私が歩いたのはこのルート。
このルートの前泊は「湯の里小町温泉しこくや」か「ゲストハウスBEKKU」がちょうどいい距離にあります。
山道に入る直前の「湯浪休憩所」には綺麗な水洗トイレと東屋があり、山水もあるので野宿環境としては充分。その手前の休憩所は東屋があるのみです。
妙雲寺から山間に入り7kmほど県道147号で緩やかに登って行き、最後の約2kmが山道。この地点から標高差445mを登るので、急な箇所もあります。逆に、最後の2kmまでは緩やかな車道なので、最後だけ頑張る感じ。
しかし、荒れた箇所は特になく、個人的には水の流れる良い登山道という印象でした。ビジネス旅館小松で教えてもらえる近道がどのようなものかはわかりませんが、地図に記載されているものの中では一番登りやすい道だと思います。
②61番香園寺からの山道ルート
この道は下りで利用しました。
香園寺の奥の院「白滝奥之院」まで車道であがり、そこから山道になります。山道は6km程あり、標高差は700m近く。山道が終わったあとは、横峰寺まで林道を1km程登ります。往復するとなると日帰り登山をする感覚。麓の方が傾斜は急で、山頂に近いほど緩やかでした。
当初は「石鎚山ハイウェイオアシス」にてテント泊、空荷で往復をしようと考えていましたが、ゲストハウスBEKKUを教えていただいたことにより予定変更。(2016年度版の地図なのでBEKKUの記載がありませんでした。最新版には載っています。)
このルートの往復にしていたら、確かに大変だったなという印象です。奥の院までの車道も結構疲れそう。
③県道12号から平野林道
山道のない、県道と林道のルート。
車が通れるようになっているので傾斜は一番緩やかですが、その分距離は他のルートに比べて長くなります。
「このルートを自転車で上がった」という宿の方がいましたが、とにかく長くて辛かったと一言。歩きの人はあまり通らないルートです。
ビジネス旅館小松の営業が再開すれば、そこで教えていただけるルートを空荷で往復するのが一番楽かもしれません。休業していた当初は、県道147号で上がり香園寺の山道を下るというのが一番無難なルートでした。
道の駅 今治湯ノ浦温泉で大休止
*国分寺~道の駅:4.7km*
お昼をまともに食べていなので、道の駅で時間調整も含め大休止を取ることにしました。
県道156号をひたすら歩き、1時間ほどで到着。
道の駅の近くには「湯ノ浦温泉」があるのですが、この道の駅には「温泉スタンド」があります。
100円で95ℓ。最大475ℓまで給湯できるとのこと。浸かる分を運ぶのは大変そうですが、足湯程度なら楽しめそう。
この道の駅は店内がいろいろと豊富で賑わっていました。
これはやばい。絶対うまい。
愛媛の特産物からお土産、野菜…軽食もいただけます。みかんの詰め放題もありました。香川県が近くなり、讃岐うどんも豊富な取り揃え。
ここにはかなり評判のレモンケーキがあるそうですが、看板には「完売」の文字。「入荷は来週」と書いてありました。レモンケーキ大好きなので気になる…。
遅めの昼食は迷った挙句、温玉焼き鳥丼。普通のメニューを注文。明日の山登りに備えて肉を摂取。
ポスターにあった「生絞りレモンジュース」がすごく気になったのですが、「すごくすっぱいですよ。」と言われました。値段も一杯600円くらいして良いお値段。絞ったままのかなり本格的なやつみたい。
レモンはやめてみかんジュースにしました。美味しかったですが、道後温泉でのみかんジュースが本当に濃厚で感動したので、それに比べるとちょっと薄味。さっぱり。
他にも「今治ワッフルマスク」に惹かれましたが、マスクをせずに笑い合える日を信じて見送ります。
あーでも、花粉用に買えばよかったな…。タオル生地で肌に優しいマスクです。不織布や化繊のマスクでは肌が荒れるという方にはとてもいいも思います。
店内を物色しながらここで40分くらい休憩。宿までここからあと12km。14時半過ぎに出発。
敷地内には東屋がありました。野宿可能かどうかは不明ですが、萩森リストには記載なし。道の駅は一か八かなので微妙かもしれませんが、温泉が目の前で環境はとてもいい。
元気な米子さん。ゲストハウスBEKKU
*道の駅~ゲストハウス:12km*
道の駅からはGoogleに従い最短距離で歩いたので、途中からへんろ道を逸れます。
県道156号をそのまま行くと「東伊予運動公園」があります。トイレ、炊事棟、シャワーのあるキャンプ場があり、テント1張¥150で利用できます。しかも、シャワーは21:30頃まで無料で利用できるとか!(時間など要確認)
球技場やプール、体育館などがある大きな公園。ここはマークしていましたが、雲辺寺の通夜堂から逆算して結局スルー。
県道を少し歩いてから線路を渡り、山側の道へ。車道を緩く登って行き、へんろ道は「世田薬師」のところで街の方へ下りて行きますが、Googleに従いそのまま県道159号を進み下りました。
平地に下りたときは15時半頃、太陽は結構傾いています。
のっぺりとした田園風景。ここがすごく長閑で素敵な場所でした。お遍路を歩く前に登った石鎚山が見える町です。
夕闇が迫っています。
やがて「周越農道」に出ました。歩道のない道路で、車を気にしながら端っこをちょこちょこ何kmも歩きました。遍路道の方はおそらく歩道があると思います。
日暮れも早くなり、いつもならもう歩き終わっている時間ですが、哀愁があってこの時間に歩くのも悪くない。この風景だったからというのもありますが、空の移り変わりが本当に綺麗でした。
16時40分頃、太陽は山に沈んでいきました。
セブンに寄って食料を調達し、残りの仄かな明るさでラストスパート。
途中に「横峰寺へ近道」という看板がありましたが、おそらくこれは明日通る道。
ちょうど17時に宿に着くと、宿のオーナー米子さんが出てきました。今日のお詫びをされ、中へ。
家に帰る途中で見つけたら車に乗ってもらおうと思っていたそうですが、見つからなかったと。ご主人と米子さんはへんろ道の方を走っていたようで。
部屋は個室かドミトリーを選べます。ドミトリーで予約しましたが、今日は私1人。自分の部屋のようです。
HPを見るとお部屋をリニューアルされたそうで、衝立が設置されコロナ対策を強化していました。
荷物を置くなり、珈琲を淹れてくださいました。
米子さんはとても明るい奥さんで、ご主人は優しさが滲み出ていて、お似合いのご夫婦でした。
米子さんはお仕事大好き。「仕事が合っていたというのもあるけど、定年まで一度も辞めたいと思ったことはなかった。」と仰っていました。仕事が大好きだから、2019年の9月に資格を取って宿をオープンしたとのこと。私は通算51人目のお客さん。緊急事態宣言中はほとんど人が来なかったとのことですが、すでにリピーターの人もいると。
泊まったときは、2週間以上前に出発した、発熱や咳の症状がないお遍路さん限定で受け入れているとなっていました。(2021.3.4現在もHPではそうなっています。)
鶴林寺手前でお会いした逆打ちのカップルの方も泊まったということで、思い出ノートにお礼の言葉が。「BEKKUに負けないゲストハウスを開業します!」と書かれていました。頑張ってほしい!お二人なら素敵なゲストハウスを作るだろうな〜とこっちがわくわくしてしまう。
"ゲストハウス"は若い人が多い印象ですが、最高齢は81歳。面白い医大生や大学生の女の子の話をしてくれて、笑いながら聞いていました。
「肩もんでもらえますか?」とか「飲み物ありますか?できれば珈琲がいいんですけど」とか「○○まで迎えに来てほしい」というような人もいたと。
「私もびっくりしちゃった〜。でも、自分の家みたいな感覚になるんだろうね。」と、何でも笑い飛ばしていた懐の深い米子さん。仕事に対してキラキラしていて、本当に素敵な方でした。
医大生の方については野宿のMさんもお会いしていて、このとき歩いていたお遍路さんの間では結構有名人になっているようでした。
お風呂はシャワーだけか、湯船に入るかで料金がちょっと違います。洗濯は無料です。
リビングは共有スペースとなっていて、夜の21時までなら自由に出入りしていいと言われました。もっとお喋りをしたかったですが、明日は早いのでシャワーをさっと浴びて早めの就寝。
ゲストハウスBEKKU、とっても楽しいのでおすすめです!
★本日の歩行距離:31.1km
★累計:913km
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