2020.12.1(火)
香川県高松市 晴れ☀ 14/5℃
歩き人たかちです。
結願前日です。今日は、88番大窪寺から20km手前の86番「志度寺」近辺の宿まで歩きます。最高で3日、4日離れていた遍路仲間のYさんと最終的に1日違いの行程になり、一緒に結願する約束をしました。同じ宿なので、1ヵ月ぶりの再会を楽しみに、残り5つとなったお寺をじっくり味わいます。
屋島寺、八栗寺はそれぞれ山登り。今日もうどんに元気をもらいながら20km。
毎日登山。84番「屋島寺」
*We Base高松~屋島寺:7.7km*
前回この宿に泊まった時は素泊まりでしたが、今回は朝食ビュッフェ付き。しかも、健康を意識したこだわりの食事で実に美味しそう。
Booking.comもよく使いますが、全体的にはagodaが一番安いという印象。GO TO利用で、ただでさえ一泊¥1,500と激安なのに、agodaで朝食付きのプランが¥1,600弱でした。
朝食は7時から。5時半に起床し、だらだらwifiをいじりカフェラウンジへ。全部食べたい!というほど美味しそうな食事がズラリ。
和食、洋食、デザート・スイーツ、ドリンクも豊富。自家製の濃厚プリンまであって、2個食べる。ブルーベリーと黒酢のドリンクとかあるし最高。
たっぷり身体にいい朝ごはんを済ませ、7時45分に出発。
今日から12月。香川に入って一気に寒くなりました。街ゆく人は手袋にダウン。そこまでではないと思うけど、いまだに薄手のアンダーにTシャツで出発する自分は場違いか。10月から服装が変わらない。
香川県民の愛する「ことでん」は、とてもかわいい電車です。
途中でへんろ道に合流して、そのうち国道に出ました。
通勤、通学の自転車がバンバン走る。車はつっかえてる。高松は大きい。
平たい屋島。
正面に太陽を浴びながら歩いて、そろそろ曲がりたいな…となった1kmほど手前で左折。
少しずつ登りになっていきます。
結構な急斜面になりました。
屋島寺まではすべて舗装道です。これがじわじわ疲れる。いや、かなり疲れる。普通の山道の方が楽。しかし、この坂道を毎日登っている人がたくさんいます。
9時頃登っていましたが、朝のウォーキングを日課にしている人がいっぱい。金剛山の毎日登山と同じ雰囲気。中には1日5往復する人もいるとか…どういう生活?一度に往復しているのか、朝から夕方にかけてちょこちょこ登りに行くのか。
汗がでるー・・・みんな登ってるー。
1kmくらいですが、大分消耗しました。ようやく着いたけど、一気に汗が冷やされて寒い。
山門を入って左手にはテントを張りたくなるような芝生の広場。お手洗いもあるし、お寺の前で野宿ができそうです。
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:鑑真和上(創建:749~756)
高松の東の海に、源平合戦の古戦場である屋島があります。島の形が屋根の形に似ていることが名の由来といわれ、山上に屋島寺が建っています。お寺は鑑真によって開かれたと伝わります。東大寺において、日本で初めて戒壇を設けたことで知られる唐の高僧。日本に戒律を伝えようと海に出ますが難波や密告で度々失敗、弟子を失い、自身も失明をしますが、753年の6度目の挑戦でようやく鹿児島に漂着しました。翌年、東大寺に向かう途中で屋島から立ち上る瑞光を見ました。そこで屋島に登り堂を建て普賢菩薩像を安置、経典を納めたことが始まりとされます。後に弟子が堂塔を建立し住職になり、815年に弘法大師が訪れ北領にあった伽藍を南嶺に移し、山岳仏教の霊場として隆盛を誇ります。鎌倉時代の「平家供養の鐘」とよばれる梵鐘も伝わります。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
朱色の本堂は、なんだか南国っぽい雰囲気。
白目が塗られている・・・
日向は温かいですが、日陰は寒い。納経所横のベンチで日に当たって汗を乾かします。納経所の中がもうポッカポカで…
平たい形状なので、山にいるということを忘れるほど。
大師堂の奥にもう一つの山門。ここから公園内を経て八栗寺へ向かいます。
山田うどんと紅葉の85番「八栗寺」
*85番八栗寺まで:5.4km*
少し歩くと「ホテル甚五郎」。現在は既に廃墟となっています。しかし、その廃墟ぶりが凄まじい…
ガラスはバリバリに割れて散らばり、なんとも危険な状態。誰か住んでいそう・・・というような感じです。
公園にもなっているし、早く取り壊した方がいいのではないかと思いますが。
そんなガラスバリバリのホテルの前からはこの景色!
向かう八栗寺の八栗山が真正面に見えます。今日は小豆島もしっかり見えました。
ここから山を下って行きますが、この山道が急です。
「結願まであと4ヶ寺、お気をつけて歩いて下さい」とのこと。ここで怪我はしたくないですね。
細めの登山道で、遍路道としては結構急です。長くはないですが、落ち葉でさらに滑りやすいし、石もゴロゴロしているので要注意。
アスファルトも油断ならない。雨だと余計滑りそうです。
車道に出て次のお山を目指します。
今日もすっきり晴れていますが、明日もこの調子で張晴れる予報。良い結願日和に期待。
屋島は本当に平らですね。
細かいへんろ案内に従って歩いていくと「うどん本陣山田家」に出ました。
忘れていましたが、ここは有名なうどん屋さん。ここは寄ろうとチェックしていた場所でもあるし、おすすめされた場所。
11時だし、今日のうどんはここに決定。
座敷とテーブル席がありました。座敷で。
ここでもシンプルに「ぶっかけうどん」か、惹かれる「釜ぶっかけ」か。すだちをかけて食べたかったので釜ぶっかけで。お好みで卵も付けられます。
これが本当に美味しかった~!!
すだちのさっぱり感がものすごく合う!
麺も硬すぎないコシでちょうどいい。最高に美味しかったです。駅からちょっと離れていて静かで落ち着きますが、かなり混むお店とのこと。11時頃だったので、ピークは避けられたみたい。
座敷は奥が混んでいたので手前に座りましたが、奥は庭園を眺められるとても素敵な席でした。紅葉が見頃です。
また、うどんだけかと思いきやカフェメニューもありました。今日は時間があるのでここでそのままカフェブレイクすることに。
珈琲と迷いましたが、濃厚そうな抹茶ラテのお菓子付き。
濃厚な抹茶の中にほんのり甘み。わらび餅も抹茶で、抹茶尽くし。柔らかくて美味しい♪
*うどん本陣 山田家*
満腹満足で出発。くねくねと続くへんろ道の続きを少しずつ登って行きます。
八栗寺のケーブルカーに到着。歩き遍路は左の鳥居をくぐって登って行きます。
ケーブルカーの前には良い感じのそば処「六六庵」。
*そば処 六六庵*
先ほどは八島から八栗山を眺めていましたが、今は反対。
八栗寺まで1.1km。屋島寺と同じような登りの距離。
登り出すとすぐに、よもぎ餅を売っているお店がありました。美味しそうだけどもうお腹いっぱい。
お店のおばちゃんが「どこから来たん?今日はどこに泊まるん?」と出てきました。知り合ったお遍路さんと一緒に結願すると話すと「貴重品だけはしっかり持っておきなさいよ。」と忠告を受けました。
知り合って、仲良くなって、最後にやられた…という人の話をよく聞くそうです。結願前日の場所だけあって、また今までとは違うお話。こういう話も表にはあまり出ないのでしょう。
お礼を言って歩き出すと「あそこでつかまるかもしれんけど、真っ直ぐ行くんよ。2時間くらい引っ張られるから。」と言われました。“あそこ”というのは、このすぐ先の「仁庵」という休憩所のこと。
先ほど原付で坂を上がっていた女性の方が外にいました。
よもぎ餅のおばちゃん言う通り「お遍路さん、よかったら休んでいかれます?」と声を掛けられましたが、うどんの山田家でたっぷり休んだので「さっきうどん屋で休憩したばかりで。すみません。」と言って断りました。「あら、そっかあ。お気をつけて!」と見送られます。
山田家で1時間も休憩していなかったらちょっと寄ってみたかった。2時間引っ張られるとは、どんな話が炸裂するのか気になります。
先へ進んで山の中へ。
ここも舗装道ですが、個人的には屋島寺の坂よりも楽でした。あの単調な感じが辛かったのか、朝一だったからか、一山越えて調子が良くなったか。八栗寺の坂はとても気持ちが良かったです。
先程から、お地蔵様などの足元には納め札が山のように置いてありました。しかも銀の納め札ばかり。同じ人が毎日登山で置いているのか?と思いましたが、記入されている名前はそれぞれ違う。
たまに違う色もありますがほとんど銀色。銀色の人が置けるのか?謎です。
気持ちよく登っていると「お迎え大師」がありました。
青空に浮かぶ大師。
いいー景色。
ここまで来ればもう目の前です。
本尊:聖観世音菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開基:弘法大師(創建:829年)
高松市の5札所の最後。屋島の東に接する壇ノ浦は、平氏が滅亡した下関の古戦場と同じ名前です。その湾を挟み庵治半島が突き出し、半島中央部にギザギザした嶺が聳え、その山中に八栗寺が建っています。青年であった弘法大師がこの山で求聞持法を修したとき、天から五本の剣が振ってきたといいます。山の鎮守である蔵王権現が現れ、ここが霊地であると告げました。大師は剣を埋め「五剣山」と名付けました。当時はこの五剣山から讃岐や阿波などの8ヶ国が見渡せたことから「八国寺」と称し、修験道の行場だったとされ、今でも山岳霊場の名残があります。その後大師は再び山に登り、入唐求法の成否を占うため、八個の焼き栗を植え、帰朝後成長繁茂していたことから「八栗寺」と改名しました。五つの峰が突き出ていた五剣山でしたが、1707年の大地震で一つの峰が中腹から崩壊しています。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
八栗寺もまた大きなお寺でした。今日は何かの祈祷が行われていて、境内はとても賑やかでした。
本堂のバックにはギザギザの嶺。格好いい。
大師堂はさらに奥。
八栗寺だけあって焼き栗が売っていました。
大窪寺の石仏霊場。特別感があります。
この八栗寺ではレアな御朱印をいただけます。八栗寺の御朱印と聖天堂の御朱印。「ここだけ!」と書いてありました。とても人気の御朱印らしいですが、八栗寺の御朱印だけいただきました。
大師堂の方へ戻り、今日の町「志度」へと向かいます。
奥には88ヶ所の石仏がありました。霊場各所の砂が納められているとのこと。
法輪寺はお寺自体好きですが、寝姿の釈迦如来もいい。昼寝をしたくなるような、居心地のいいお寺でした。
コンパクトな空間に石仏が等間隔で綺麗に並んでいました。
紅葉が見頃です。八栗寺は紅葉の名所でもあるので、秋はとくに見応え抜群。
へんろ仲間と再会。86番「志度寺」
*86番志度寺まで:6.5km*
裏参道と呼ばれる車道を下って行きます。
こっちの紅葉も本当に綺麗で綺麗で・・・最高。
下った先には海が見えました。高松市ともそろそろお別れです。
「NPO88 おへん路さんお休み処」という看板のあるカフェのようなお店がありました。イタリアンのマークがあり、ピザとか食べられるようですが今日は営業していません。
歩いていると逆打ちのお遍路さんに会いました。今日は八栗寺までとのこと。
閏年は逆打ちがいいと言いますが、それは2020年以内に歩き終える場合なのか?2020年に歩き始めて2021年に歩き終えるのはどうなのか?そのあたりがよくわからない。
志度への道はとても静かでした。途中、空き地のような場所でタイミングよく琴電の音。海をバックにかわいい琴電を見ることができてラッキー★
志度には、平賀源内の旧邸があります。
そこからもう少し先に、今日の宿「旅館 以志や」。このすぐ先が志度寺なので、そのまま志度寺へ。
と、前から歩いてくるのは・・・
Yさんだ〜!!!
1ヵ月ぶりの再会です。お元気そうで何より。積もる話もありますがまずは参拝に行き、夕食を一緒に食べに行くことにしました。
丁度団体の参拝が終わったところでした。「歩いてるんですか?」と聞かれ、明日結願ということで、最後に応援していただきました。
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗
開基:藤原不比等(創建:625年)
志度湾に面して建つ志度寺には、海女にまつわる逸話が残ります。薗子という海女が、湾に流れ着いた霊木で十一面観音像を刻み堂宇を建立したのがはじまりとされます。その後、藤原不比等が妻の墓を建て「志度道場」と名付けました。能楽の「海人」の舞台として知られますが、原話は不比等がこの地の海女と恋に落ちたことに由来します。不比等は竜神に奪われた妹ゆかりの玉を取り戻すため、身分を隠して志度を訪れました。海女との間には息子の房前を授かりました。数年後に不比等の素性と目的を聞いた海女は海に潜ります。海からあがった海女は手足を食いちぎられていましたが、乳房の中に奪い返した玉を隠していました。お寺には房前が建立した母の墓が伝わります。「続日本紀」では、藤原氏は海人族と婚姻を結び海洋の支配権を得たと記されています。お寺は繁栄するも戦国時代に荒廃。援助や寄進によって再興しました。
参照:四国お遍路88ヶ所歴史読本
著者:株式会社エディスタ
志度寺の境内は浄瑠璃寺以上に草木が多く茂っていて、公園というか植物園みたいな雰囲気。
五重塔から本堂へ。
境内に草木が茂っていると一つひとつの空間ができて静か。明日、無事に結願できることを願います。
残りは20kmもなく、ここまで来てしまった。しみじみ眺めていると、押し車を押したおばあちゃんが本堂、大師堂、五重塔と、一つひとつ丁寧に回っていたのがなんだか印象的でした。おばあちゃんにとって大事なお寺なんだろうな。
花の時季はいろいろ咲き乱れそうです。ゆっくりと滞在して宿へ。
重要文化財。「以志や旅館」
*志度寺~以志や:270m*
以志や旅館は建物が登録有形文化財となっています。明治時代の創業とのこと。立派な木造建築の建物は奥へと広い造りになっています。
庭がまた風情があります。
渡り廊下で繋がっているのですが、迷路のようで何度も迷子になりそうでした。
私は2階の部屋でした。日の当たる広いお部屋。
洗面台やトイレは渡り廊下にあります。冬は寒いです。この時季でも結構寒かったので、真冬だとトイレに行くのが億劫になってしまいそう。
先にお風呂に入り、洗濯をして(洗濯・乾燥それぞれ150円)18時頃にYさんとガストへ行きました。
以志や旅館は料理が美味しいと評判のようでしたが、地域共通クーポンをいただけるので素泊まりにしていました。Yさんと同じ宿になるなら宿でゆっくり話しながら食べてもよかった。
魚が美味しいという志度ですが、近くにはいいお店が見つからずガストになりました。以志や旅館は隣で食事処も営業しています。「ちょっと高いね。」ということで安上がりのガストへ。
Yさんと出会ったのは24番最御崎寺。お別れしたのが31番竹林寺。それからのことをたくさん話しました。
Yさんは63番吉祥寺で、山門近くに張ってあったロープに足を引っかけ転倒。血が出るほどおでこを負傷して、伊予西条に病院があるということで、そこへ。しかしその日は外科の先生がお休みで他をあたってくれと。
救急車で別の病院へ行くと「愛媛県にはいつからいますか?」と。コロナなので、14日以上滞在していない人はPCR検査をしなければならないとのこと。
地図を見返して、泊まった宿を一つずつ戻っていくと愛媛県は10日目。そのためPCR検査をして、結果が出るまで1時間待ち、ようやく治療をしてもらえたということ。もちろん生死にかかわるようであればそんなことはしませんが、そうでない場合はこうなるらしい。いやー大変だ、コロナ禍の病院…
雲辺寺の日は民宿岡田が満室だったり、ホテルの人の対応がちょっと意地悪だったり…同じ道を歩いていても、お遍路の物語は本当に人それぞれ。Yさんも感謝と苦労をしながらここまで来たようです。
88番大窪寺へ、私は女体山ルートで行きますがYさんは国道ルートで行くとのこと。結願への思いを共有して宿へ戻ります。
楽しみでもあり、悲しくもあり、複雑な気持ちを抱えながらの前夜。しっかり歩けるように、しっかり眠りました。
★本日の歩行距離:19.9km
★累計:1131.6km
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